2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

”金俊平”の凶暴性

『血と骨』という”作品”は映画・小説の両方とも実に面白い。文学に極めて疎い私には、文学的価値とかいう方面のことはよく分からない。しかし、面白さだけに限っていえば、これほど面白い作品は他にないのではないか、と思えるほどである。 しかも、この筋書…

『道をひらく』400万部突破

一昨日の夕方、たまたま本町の「紀伊国屋」の前を通りがかったので、入ろうとしたら閉店時間です、と言って断られた。 すると昨夜、親友の池永がふらっとやってきて「さっき本町の紀伊国屋へ行ったら、松下幸之助本コーナーに幸之助さんの本が平積みされてい…

「字栴檀木」

図版① は明治19年・大日本帝国陸地測量部測量の二万分ノ一地形図。 図版② は明治43年・同上。 ①図によれば、「字栴檀木」と明記されている。 ところが②図では、「千旦センダ」と変化している。 この2枚の地図だけから推量すれば、明治22年の市町村制…

「松下幸之助起業の地」の地名の変遷

(8/24「松下幸之助生誕地(続き)」の補足記事。この補足記事は【”生誕地”の地名の変遷】の参考に供するためにここに書く) 松下幸之助さんが大正6年に大阪電灯㈱を退社し、住んでいた借家の一部を作業場に改造してソケットの製造を始めた場所、すなわち ”…

松下幸之助生誕地(続き) 

松下幸之助さんの生誕地の地名は、 ① 明治27年(松下幸之助さんの生誕)当時=和歌山県名草郡和佐村字千旦ノ木 ※ 名草郡は、のちに海部(あま)郡と合併して海草郡となる。 ② 現在=和歌山県和歌山市禰宜1216 だそうだ。 ▲和佐村を構成する6つの大字+字千…

幸之助になりそこねた日本のエジソン・屋井先蔵

私は寡聞にして、乾電池王・屋井先蔵という人の名前を最近まで全く知らなかった。 『発明立国ニッポンの肖像』(上山明博著・文春新書・2004)第3章 乾電池「松下幸之助になりそこねた乾電池王」によって初めて知ったのである。この本によると、屋井先蔵は…

「手間天神社」の事

生野区巽南1丁目3の法蔵寺境内の石灯篭に、 (西面)手間社 (南面)獻燈 (東面)河秔澁川郡四條村 南耼原仙太郎 (北面)慶應三丁卯十一月 (台石・西面)大日本廻國 という刻銘が残されている。 また、旧官幣大社・生国魂神社旧蔵の『攝津國東生郡浪速総…

山頂不明の金鳥山に登る

きのうのブログで紹介した佐々木道雄氏の住まいは、神戸の本山町である。昨年の正月、佐々木氏のお宅へ遊びに行き、そのついでに近くの「金鳥山」に一緒に登った。昨年(2005)は酉年でもあり、そのエトに因む金鳥山に登ってみるのも面白かろう、と思ったの…

佐々木道雄さんのこと

今朝、畏友・佐々木道雄氏から『むくげ通信』第217号が送られてきた。数年前に知り合って以来、ずっと毎号 欠かさずご恵贈頂いている。氏は、私の口癖では ”焼肉研究の第一人者” だが、正確に言えば【朝鮮を中心とする東アジアの食文化史研究家】である。 佐…

宮本伊織奉納の鰐口(泊大明神)

この短文は約十年ほど昔に書いた旧稿である。ある会の依頼で寄稿したものだが、その担当者は創刊号は出したものの、二号目の段階で原稿だけは集めておいて、あとは”尻食らい観音”で知らぬ顔。三号雑誌どころか一号だけで終わってしまった。世の中にはひどい…

『羅底曼惹哩』(ラティマンジャリー)の全訳・解説本を頂く

この本はインドの古性典であるが、過去のこのブログとの関連上、とりあえず[神仏]のカテゴリーに入れておく。 今日、阿能仁氏が忙しい中を拙宅に立ち寄られて、この貴重な著書をご恵贈下さった。今日はこれからまた別の研究の取材にでかける途中だ、とのこと…

「松下幸之助生誕地」

伊太祁曽神社の一の鳥居の前の小さな橋から真っ直ぐ北上すれば「和佐」のT字路に突き当たる。(突き当たりに至る少し手前に「和佐大八郎の墓」の表示を見かけたが面倒いので素通りし、)突き当たりの信号を左折、二つ目の信号の角に「松下幸之助生誕地」の…

生石高原行き(続き)

8/17(木)朝起きるとM氏は、昨夜のバーベキュー器具の後片付けをしていた。私は敷地内の自然林を散策。趣味の杖にするための、形の良い立木に目星をつけた。後で切らせてもらう。 朝食は吹き抜けのダイニングで、パンと野菜サラダとアイスコーヒー。5人で…

生石高原の山小屋行き

私はこれまで、正月・5月の連休・お盆 の年3回だけは必ず旅行かドライブに出かけることを習慣とし楽しみとしてきたが、これも段々と面倒くさくなってきた。有名で行き易い所は大概行き尽くし、行き難い所は日程・費用・準備等々いろんな面で大変だ。近くで…

『ウェブ進化論』を読む

チケットピアに勤めているミキちゃんが教えてくれたので、この本を買ってきて数日前から読んでいる。(本書の副題は「―本当の大変化はこれから始まる―」・梅田望夫著・ちくま新書・2006.2.10刊) (ところで、先日は新歌舞伎座「藤山直美特別公演」のご招待…

孫たちと墓参り・四天王寺

お盆でもあるので、遊びに来た娘・孫娘と私・家内の4人で天王寺参りを兼ねて父母の墓参りに行くことになった。 冷やし素麺で昼食をすませてから出かけることにした。娘が素麺のタレの中に直接キムチを放り込んで食べ出したので、とんでもないことをするヤツ…

東京に『大阪の朝鮮市場』を再現‼ 

9日(水)、所要があって車で出かける途中、拙宅より北へ4〜500メートル、千日前通りの信号の角で、珍しい人とバッタリ鉢合わせをした。 その鉢合わせした場所というのは、「旧・大成通」(=たいせいどおり、現・大阪市東成区玉津2丁目)の辺り。小説/映画…

”大体やねぇ”の竹村さん

高名な評論家である竹村健一氏は猪飼野の地元民が誇るべき「猪飼野ゆかり人物列伝」の中のビッグな一人である、といえよう。※ 画像は、「ズバリ発禁個所が読める『欧州ポルノ名作教室』」(竹村健一著・明文社・1972・表紙/本文イラスト 笠間しろう) ワール…

幸之助さんと尋常小学校

当時、尋常小学校は6年制ではなくて4年制ではなかったのか?と思う人がもしいるといけないので、念のために書いておくと、 ◑ 明治33年、尋常科の4年間が義務教育→明治40年、尋常科6年間が義務教育となり、その上に高等科2年を設置 つまり、松下幸之助さ…

バタヤンの人生航路 

大阪ミナミのサパークラブ”青い城”事件の発端となった、歌手の田端義夫も小学生時代 猪飼野付近で過ごした。(正確にいうと、鶴橋・猪飼野界隈で何ヶ所も住居が転々としたらしい.彼の生年月日は、1919(大正8).1.1) 参考:ウィキペディア[田端義夫]http://…

「明友会」記事に、似たような文章?

私の生家の真向かいに、一時期、愚連隊「明友会」の事務所(会長の住居)があった。(参考:ウィキペディア[明友会]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%8B%E4%BC%9A#.E5.BD.B1.E9.9F.BF ) この会は昭和35(1960)年に、”明友会事件”という抗争で…

「祀った霊は取り外せない」???

馬鹿げた言説(2例)のメモ● 「中国ならびに日本の一部にA級戦犯を分祀してはどうかと言う人がいますが、これも神道の約束事として不可能です。 神道では合祀された御霊はひとつの大きなロウソクの炎に喩えられます。分祀とはその炎を別のロウソクに移すこ…

昭和天皇についての雑感

自分は昭和史についての専門家でもなく、至って頼りない知識しか持っていないので、本当はものをいう資格を欠いていることは十分に承知している。にも拘わらず、靖国問題を論じるはめになったのは、靖国神社側が「神霊はろうそくの火」という素人だましの詭…

東条さんの通達

・ 昨日の大阪日日新聞 1面「安倍氏が4月、靖国に」「首相は『15日』参拝か」 2面「持論貫き足場固め」「中韓の反応瀬踏み」(安倍官房長官靖国参拝) 3面 社説「長官靖国参拝 歴史認識、堂々と国民の前に(説明すべきだ―の意) ・ 今日の大阪日日新聞 …

サムハラ(続き)

桂米之助(故人)著『落語漫歩 大阪ふらり』(夏の書房、1983)に、こんな一文があった。以下はその抜粋。 サムハラ神 (大阪城内に)移転前の豊国神社には、境内の西側にサムハラ神社という小さな社が祀られていたが今は無い。どうなったのだろう。 江戸期…

持金剛仏のヤブユム像

S45.9.18読売新聞夕刊「読書」欄 ”紙つぶて”のコラムの抜粋。 ▼ 白浜温泉”歓喜神社”の隣の白浜美術館で、大阪の松原栄三郎が半生を費やした世界的コレクションによる「歓喜仏を中心としたラマ教の珍しい仏像仏画の展観」が開かれている。▼松原栄三郎が発行…

サムハラ

昨日の新聞に「アメフット日大前監督 篠竹幹夫氏」の死亡が報じられていた。 私はフットボールなどには全く関心がないが、ある事柄の関係で偶然この人のことを知っていた。”サムハラ”にかかわる事である。 この人の著書『汝 不死鳥たれ』(タッチダウン㈱、1…

レファレンスの技術と図書館

小泉さんの言動を見ているうちに、高師直のあの逸話を連想した、という話を7/31、このブログに書いた。 この逸話は昔何かで読んで頭に残っていたのだが、その出典はと言うと定かではない。 まずネットで[高師直][木か金で]の二つのキーワードを入れて検索し…

上坂・百地の論理(7/30の続き)

富田メモに関して、案の定、百家争鳴、議論百出の様相だ。 100パーセント確実なのは、この一件を、大概の人が(特に強硬論者ほど)持論に都合のよい方向に解釈しょうとしている、という一点だけである。 それにしても、上坂・百地両氏のご意見はちょっと気持…