幸之助さんと尋常小学校

 当時、尋常小学校は6年制ではなくて4年制ではなかったのか?と思う人がもしいるといけないので、念のために書いておくと、
◑ 明治33年、尋常科の4年間が義務教育→明治40年、尋常科6年間が義務教育となり、その上に高等科2年を設置

 つまり、松下幸之助さんの頃はまだ尋常科は4年制だったので、次の自伝の記述のようになる。

1904年(明治37)11月
晩秋の紀ノ川駅で母と別れ、1人大阪行きの汽車に乗ったのは、明治37年11月23日、幸之助が満9歳の時だった。大阪で働いていた父からの手紙で、丁稚奉公に出ることになったのである。尋常小学校4年生で、小学校もあともう少しで卒業という時だったが、彼は別にこだわりもなく、奉公に出ることを承知した。
松下電器HP 松下電器について > 社史 > 創業者 松下幸之助 > 松下幸之助の生涯 http://panasonic.co.jp/company/person/life/cl_0003.html
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※ なお、上記は高等科のことを、少し簡略化して書いている。実際はもう少し複雑である。学校制度沿革の詳細は、文部科学省「学制百年史」( http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_053.html)を参照。