「明友会」記事に、似たような文章?

 私の生家の真向かいに、一時期、愚連隊「明友会」の事務所(会長の住居)があった。(参考:ウィキペディア[明友会]http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%8F%8B%E4%BC%9A#.E5.BD.B1.E9.9F.BF )
 この会は昭和35(1960)年に、”明友会事件”という抗争で、山口組によって潰滅させられてしまったが、この住所に彼らが生活をしていた数年間は、普通程度のご近所付き合いみたいな感じの接触はあった。(この地元では凶暴な振る舞いというものは特になかった。会長の甲山五郎こと姜昌興という人物は、背丈は大きくはないが、にがみ走った男前であったことを記憶している)
 そういう関係もあって、私の兄は愚連隊関係の新聞・週刊誌の記事などをかなりマメに収集している。今日、その一部をちょっと見せて貰って驚いたことがある。

 『実話時代』2002.3月号 特集:歓楽街の顔役 「ミナミと歌舞伎町の裏面史を探る」P38
「明友会は、大阪・猪飼野周辺の在日朝鮮・韓国人を主力とした愚連隊である。
猪飼野今の東成区玉津、生野区鶴橋・桃谷・中川西・田島などで、現在は境界が分からなくなってしまっているがおおよそ、JR環状線鶴橋駅桃谷駅の東方付近から平野運河の両側一帯と思って貰えばよい。

 この文章、次の文にそっくりである。
 古書ライブラリー『猪飼野司馬遼太郎』2000.8月掲載 http://www.jade.dti.ne.jp/~kosho/library12.html
猪飼野といっても知らない人もいるかもしれない。
その地名は現在の地図にはない。その範囲は、今の東成区玉津、生野区鶴橋・桃谷・中川西・田島等々の上に跨っていて、隣接地区との境界が分からなくなってしまっている。これを詳しく説明するのが目的ではないからやめておくが、おおよその位置は、JR環状線鶴橋駅桃谷駅の東方、平野運河の両側一帯と思って貰えばよい。

 いろんな人がネットを見ているんだなぁ、と感心した。
 さらに、この『実話時代』にはもう一つ面白いことがある。『愚連隊XX』というムック(1999)と併せて見ていると、掲載写真の感じがよく似ている。①明友会組員が出入りし、たむろしていたキャバレー「ユニバース」と姜会長(円形顔写真)、②山口組が明友会組員を襲撃した布施の有楽荘アパート、の2点の写真で、よく見るとトリミングを変えているが明らかに元は同じである。(さらにその元のオリジナルがあるに違いないが・・・)
 こういうことは分かるものなだ。
 話はちがうが、津本(陽)先生もどうかご注意を!。


※ 明友会事件(青い城事件・有楽荘事件を含む)については、
山口組三代目<野望篇>』(飯干晃一著・徳間書店・1970)、『田岡一雄自伝<迅雷篇>』(田岡一雄著・徳間書店・1974)
『奴らが哭くまえに(猪飼野少年愚連隊)』(黄民基・筑摩書房・1993)にも記述がある。