上坂・百地の論理(7/30の続き)

 富田メモに関して、案の定、百家争鳴、議論百出の様相だ。
 100パーセント確実なのは、この一件を、大概の人が(特に強硬論者ほど)持論に都合のよい方向に解釈しょうとしている、という一点だけである。
 それにしても、上坂・百地両氏のご意見はちょっと気持ちが悪すぎる。
 世間一般の平均的な見方は(メモの内容を真実とする前提に立って)、「天皇の政治利用は慎むべきではあるが、こうしてメモが世間に出た以上、昭和天皇の内に秘めたお心は尊重すべきではないか」というあたりであろう。

 メモを偽物とする論者、語り手が昭和天皇ではないとする論者はここでは一応論外としておこう。(この人たちを説得したり論破しようなどというつもりは毛頭ない。どう考えようと各人の自由である)

 しかし、上坂・百地両氏の場合は、そういう論者ではない。メモは本物、語り手は昭和天皇であることを是認しているようだ。(百地氏の方は、昭和天皇のご発言であることを認めたくない、という気持ちを滲ませてはいるが・・・)
 にも拘わらず、
・上坂氏・・・合祀・分祀問題と直接の関係なし
・百地氏・・・立憲君主のお立場と私的ご見解は別
というご趣旨である。
 上坂氏の論は、「昭和天皇は松岡・白鳥両氏には批判的だが、東條氏には好意的であられた。ゆえにA級戦犯ということで一括りにできない以上、分祀論は行き過ぎだ」という。これは些細な点を言い立てて、何としても分祀論を撃退しようという、「為にする論議」の典型である。
 そしてこういうことも言っている。「天皇には正確な情報を網羅して直ちに伝えられていたわけではないらしい。少ない判断材料に基づいてのご発言だとしたら、必要以上の拡大解釈は慎みたい」と。
 私が最も気持ち悪く感じるのはこの論法である。まるで昭和天皇が頼りない情報に基づいて軽率な発言をされている、と言わんばかりの、人を馬鹿にした発言である。(=君側の奸が聖明を覆っている―という青年将校流の論理)
 
 百地氏の論は、「勅使ご差遣こそが大御心」というこれまた硬直した、一方的なリクツである。
 天皇は独裁者ではないが、しかし、むろん木石でもない。公正中立であることを国民から期待され、そのようにひたすら自らを律しておられるわけである。
 多くの戦没者が祀られている以上、勅使の差遣を取りやめるなどということをなさるはずがない。その一方で、自分の意向を無視して合祀を強行した松平宮司に対して不快感を抱いておられたということもまた事実である。すなわち、勅使ご差遣も御心なら、自らの参拝を拒否されるのも御心である。その御心を体して善処するのが臣下の取るべき道であり、それが君臣水魚の交わりというものではないのか?。松平宮司や百地教授のような教條主義の石あたまは”公害”としか表現のしようがない。
  

<追記>エドウィン・O・ライシャワー著『ザ・ジャパニーズ・トゥディ』
   (文藝春秋、1990、福島正光 訳)第22章「天皇」P299〜302
・ 「第二次世界大戦終結にいたるまで、日本の指導者は一貫して、天皇に対する強い崇敬の念と、天皇自身の希望にかかわりなく天皇に決定を推しつけるという態度とを両立させた。天皇に対する畏敬の念を抱きつつ、同時に天皇個人を冷酷に操作するというこの態度は、日本人にしか理解しがたいものです」
・ 「軍国主義者や国粋主義者は「天皇の意思」を理解しているのは自分たちだけだと考えました。天皇自身に問い質そうと考えたものは一人もありません」
 ◑ ライシャワー氏はこれを「天皇に対する奇妙な二重性」と表現し、その原因は明治憲法にあるとしている。
・ 「天皇の役割に関する憲法の基本的なあいまいさ(平斎注=議会制と天皇親政の合いの子のような)はまた、政治の中心に危険な真空を残しました(同注=統帥権の不正利用)。・・・この点のあいまいさがもたらした悲惨な結果はすでに見たところです」


※ 世間に「天皇の戦争(開戦)責任」という、私にはサッパリ理解不能な用語・言説が横行しているようだ。戦争責任というのは勝った場合には問われることは多分ないのだろうな、という風に一応理解している。
 歴史上、世界的大帝国を築いた秦の始皇帝やナントカ大帝の戦争責任という話は聞いたこともないし、日清・日露の開戦に対する明治天皇の責任問題というのも余り聞いたことがない。
 一方、負けた方だって、攻め滅ぼされた国の元首(例えば蜀の劉備玄徳)が批判されることは余りないようだし、攻めてきて敗退したフビライ汗のことを今ごろ批判してみても始まらない。
(その割には、豊臣秀吉はいつまでも向こうからは恨まれているようだ)
(原爆を落とされておいて、”二度と過ちは繰り返しませぬから”というフレーズもなんかヘンだ)
 にも拘らず、今次大戦の戦争責任ということが喧しく論議されるのはなぜだろうか?。
 それは多分、①身の程を知らない(勝てるはずがない―という)無謀な世界戦争に突入した、②またその遠因を作った満州事変以来の膨張政策、への批判ということなのであろうか?。
 歴史は原因と結果の連鎖であるから、判断は後世の歴史家に委ねるほかないと思うが、この世界は今日なお、極楽トンボがスイスイと遊んでいるような、のどかな仏国土でないことは確かだ。
(四方の海 みなはらからと思う世に など波風の立ち騒ぐらん)           (完)