幸之助になりそこねた日本のエジソン・屋井先蔵

 私は寡聞にして、乾電池王・屋井先蔵という人の名前を最近まで全く知らなかった。
『発明立国ニッポンの肖像』(上山明博著・文春新書・2004)第3章 乾電池「松下幸之助になりそこねた乾電池王」によって初めて知ったのである。この本によると、屋井先蔵文久3年(1863)、現・新潟県長岡市の生まれ。彼が乾電池を発明したのは明治22年(1889)頃、特許申請は明治25年(1892)。その乾電池は日清戦争(1894〜1895)で大活躍、屋井は”乾電池王”として大成功を収めた。
 一方 松下幸之助は、
・ 日清戦争の始まった明治27年に生まれた。(屋井の方が31歳の年長である)
・ 大正12年(1923)、乾電池で光る自転車用の砲弾型ランプを開発。
・ 昭和2年(1927)、自転車・手提げ兼用の角型「ナショナル・ランプ」を発売。
        (この年、屋井先蔵急死。64歳)
・ 昭和6年(1931)、「ナショナル乾電池」発売。

松下幸之助の成功の秘訣、それは、これまで軍や大学の研究機関など一部の専門的な用途に限られていた乾電池を、電灯などと組み合わせて一般家庭用向けの常備品としたことにある。」「皮肉にも先蔵の死の直後から、携帯ラジオやポータブル電蓄などの電化製品が次々と登場し、それによって乾電池の需要は一気に急増する」「屋井先蔵がもう少し長命だったなら、松下幸之助になれたものを……。返す返すも、生まれた時の巡り合わせが惜しまれる。合掌。」(上掲書 P73・76)
この著者のサイト http://cobs.jp/life/regular/hatsumei/bn/020207.html

 屋井先蔵は時計店に奉公した少年時代、独学を志し、近所の古本屋から中国の字書『玉篇』を購入、毎日時計を修理しながら1ページづつ暗記し、2年間かけて玉篇三十巻を全部暗記してしまった、というくだりもなかなか興味深い。

 著者は、屋井がもう少し長命だったなら、と惜しんでいるがちょっとだけ違うような気もする。
 屋井先蔵は少し運が悪く、松下幸之助は極めて運の強い人だった。そして、それに加えて松下さんは経営の才がずばぬけていた。そこに差が生まれた原因があるのではなかろうか。

 人間の歴史というものは実に面白い。