「松下幸之助生誕地」

 伊太祁曽神社の一の鳥居の前の小さな橋から真っ直ぐ北上すれば「和佐」のT字路に突き当たる。(突き当たりに至る少し手前に「和佐大八郎の墓」の表示を見かけたが面倒いので素通りし、)突き当たりの信号を左折、二つ目の信号の角に「松下幸之助生誕地」の大きな看板。その信号を右折するとほどなく、右手に「松下公園」、左手に「松下幸之助生家跡」がある。生家跡の部分を詳しく言うと、① 松下の家名の由来となった千旦[せんだ]の松(の枯木)、② 松を取り囲むように、祠が二つ(金山彦大神・宇賀御魂大神)と庚申供養塔などの石標二基、地蔵堂(巻法鬼地蔵)、③ 「松下幸之助君生誕の地」顕彰碑(湯川秀樹書、昭和三十九年五月、大阪音無会 建)、④ 松下幸之助さん夫妻らの墓所(南無阿弥陀佛 松下家 平成二年建)、などがかたまっている。松下幸之助さんの戒名は「光雲院釋眞幸」(平成元年4月27日寂、享年95歳)。
 前回の時は、一人で電車で来た。「千旦」駅で降りて「祢宜(千旦の木)」の村の中を通ってここに来て、そのあとでまた村の中を歩き回った。関本さん?だったか、この屋敷跡や墓所の世話をされている松下家と非常に親しい人にもお会いしたようにも思うが、ちゃんとメモしておかなかったので殆ど忘れてしまった。日記をつけることは大切だ。
※ 写真は、「松下幸之助生誕地」千旦の松の枯木
<参考になるサイト>
◑「松下幸之助氏の和歌山時代」PHP総合研究所・佐藤悌二郎http://research.php.co.jp/kenkyu/report/pdf/journal/008.pdf#search=%22%E5%8D%83%E6%97%A6%E3%81%AE%E6%9D%BE%22
◑「和佐」http://wasa2004.web.infoseek.co.jp/index.html
 「地図」http://wasa2004.web.infoseek.co.jp/tizu1.html