レファレンスの技術と図書館

heisai2006-08-02


 小泉さんの言動を見ているうちに、高師直のあの逸話を連想した、という話を7/31、このブログに書いた。
 この逸話は昔何かで読んで頭に残っていたのだが、その出典はと言うと定かではない。
 まずネットで[高師直][木か金で]の二つのキーワードを入れて検索してみた。すると主なサイトがざっと10件ほど出てきたが、出典が「太平記」らしいことが窺えるものの、ハッキリとそのことを明記したものはなかった。
 手元に幸い[新潮日本古典集成]の『太平記』全5巻があったので、一応目を通してみた。その結果が7/31の「太平記に記載なし。仮名手本忠臣蔵ではないか?」という判断となった。この日は運悪く市立・府立とも中央図書館の休館日であったため、その判断の正否を確かめる術がなかったのである。
 翌日、A図書館へ問い合わせてみた。女性司書の曰く、太平記の隅から隅までその語句を探すなどということは当館では無理だ、とのこと。それもそうだ、こちらの依頼が身勝手すぎるのかも知れない、と一応納得した。
 しかし、一旦電話を切ったあと、何とかほかにその語句の記載箇所に辿りつく方法はないものだろうか、と考えた末、再度A館に電話をした。先の女性は他の電話の応対中ということで今度は男性司書が話を聞いてくれた。『国史大辞典』の[高師直]の項を見て欲しいとお願いしたところ、その項目には[木か金で]の逸話の記載はないと言う。記載があれば、そこに出典が(太平記なら太平記の、該当の巻数も)明示されているだろうから、と思ったのにアテが外れた。しかし記載がないというのは余りにも不審に思われたので、思わず念を押したところ「なんなら見に来られますか」と皮肉っぽく言われてしまった。その項には『仮名手本忠臣蔵』のことも一切触れられていない、とのことである。
 『広辞苑』の[高師直]の項には①南北朝時代の武将。・・・②「仮名手本忠臣蔵」中の人物。・・・という二つの解説が載っている。にも拘わらず、歴史辞典中最も権威あると目される『国史大辞典』に「仮名手本忠臣蔵」のことが一切触れられていない、またこの逸話の記載がない、とは一体どうしたことであろう。史実に対して忠実にという主義なのだろうが、これでは余りに不親切過ぎないだろうか?。
 また、A館の男女の司書の対応も今回のことに関する限り(いつもそうという訳ではない)、どうも冷淡で言葉にトゲがあるように感じられた。


 さて、その翌日再び考えてB図書館に電話をして見た。すると今度は、お時間を頂ければ調べてみます、と快く引き受けてくれた。そして数時間後にはちゃんと回答を用意してくれていた。
 その回答によれば、『太平記』の第26巻の中の”妙吉侍者の事 付けたり秦の始皇帝の事”の箇所にその記述がある、という。
 私は、一昨日 太平記の全体にざっと目を通し、その上で第26巻の”執事兄弟奢侈の事”の箇所を含めその前後に目を通した積もりだったがどうしてもその語句を見つけることができなかった。(”妙吉侍者の事”はその同じ巻の中の二つあとの項目だったのに・・・)また、吉川英治の「私本太平記」や山岡荘八の「新太平記」にもそれらしい記述が見つからなかった。

 さすが図書館のレファレンスの技術はすごい。いつもながら敬服のほかないし、感謝に耐えない。
 私は、後学のために、そこに辿りついた経路を尋ねた。B館の司書の方の答えによれば、角川選書太平記の群像』ともう一つ、海音寺潮五郎『悪人列伝』(「高師直」)の二つの本から見当をつけて探した、とのこと。参りました。

 さて、その箇所の原文。
『都に王といふ人のましまして、そこばくの所領をふさげ(=多くの所領を占有し)、内裏・院の御所といふ所の有りて、馬より下るるむつかしさよ(=煩わしさよ)。もし王なくて叶ふまじき道理あらば、木を以って造るか、金を以って鋳るかして、生きたる院・国王をば、いづかたへも皆流し捨てたてまつらばや』と言ひし言葉のあさましさよ。
 (以上は、妙吉侍者という僧が足利尊氏の弟・直義(ただよし)に対し、高師直の言として述べたもの。将軍尊氏の執事として専横の振る舞いの多い師直兄弟を、始皇帝の大臣・趙高に例えて非難している)