「松下幸之助起業の地」の地名の変遷

heisai2006-08-27

 (8/24「松下幸之助生誕地(続き)」の補足記事。この補足記事は【”生誕地”の地名の変遷】の参考に供するためにここに書く)

 松下幸之助さんが大正6年に大阪電灯㈱を退社し、住んでいた借家の一部を作業場に改造してソケットの製造を始めた場所、すなわち ”起業の地”は現在の「大阪市東成区玉津2丁目」である。
 この場所は、
① 大正1.10.1「大阪府東成郡鶴橋町大字猪飼野針求1399番地」
② 大正14.4.1「大阪府大阪市東成区猪飼野町1399番地」(その後の変遷はここには略す)

※ 幸之助さんの起業の時期は①に該当するが、自伝では「猪飼野」としか記されていない。
※ ①の場合[字針求]の表記は必ずしも必要がない。地番は通し番号なので、小字名は書かなくても場所が特定できるからである。そのため小字名は昭和初期に廃止された。
※ ②の段階では、「鶴橋町」という自治体名が外された。大阪市(東成区)の管下に入ったからである。
※ 鶴橋町は町役場をもつ自治体であったが、猪飼野町は東成区役所管下の単なる地名であって、自治体ではない。

 これを【”生誕地”の地名の変遷】に当てはめると、
① 明治27当時「和歌山県名草郡和佐村大字禰宜千旦)1216番地」
② 昭和31.9.1「和歌山県和歌山市禰宜1216番地」

※ ”生誕地”の集落の通称は”千旦ノ木”であっても、1216番地が[千旦]であるかどうかは確認が必要だが、[千旦]という小字名が存在するようなので、仮定として①のように表記した。また前述したように、地番があれば小字名は省略可能である。
 なお、この”生誕地”のようなケースでは、世間的な通用性の点では、地番よりも”千旦ノ木”のような俗称地名の方がはるかに勝ることは言うまでもなかろう。(自伝では「和歌山県海草郡和佐村字千旦ノ木」と記されている)(海草郡=正確には当時「名草郡」)
※ ②の段階で「和佐村」という自治体名が外されたのは、”起業の地”の例で言えば、「鶴橋町」という自治体名が外されたのと同様である。


<図版>は大正4年当時の”起業の地”付近の風景。(起業の2年前)
     ”東成郡鶴橋町北端より中本町方面を望む”(堤梨雪 筆、平斎所蔵)