昭和天皇についての雑感

 自分は昭和史についての専門家でもなく、至って頼りない知識しか持っていないので、本当はものをいう資格を欠いていることは十分に承知している。にも拘わらず、靖国問題を論じるはめになったのは、靖国神社側が「神霊はろうそくの火」という素人だましの詭弁を押し通そうとする、その卑劣さ・頑迷さが我慢ならなかったからである。


 ところで、世間では、A級戦犯の戦争責任を論じるなら昭和天皇の戦争責任も論じなければ筋が通らないとか、東条さんは昭和天皇の罪を一身に被って処刑されたのだから、昭和天皇A級戦犯の合祀に反対されるのはおかしい(=上坂冬子説)とか、ヘンな理屈をこねまわす人たちが跡を絶たないが、実に困ったものである。
 敵国であった外国人が、天皇の責任を追求したとしても、これは別段ふしぎなことではない。
 しかし、日本人がそういうことを言う―これには二つの立場があると思う。
 ① は、天皇制度を廃止すべきだとする立場。
 ② は、①のようには思わないが、今次の戦争に関してはやはり昭和天皇は責任をとられるべきだった、という立場。

 ①の立場をとる人たちは、(仮に、昭和天皇一人の力では戦争を阻止することは不可能だったと考えたとしても、であるが、まず彼らはそうは考えない。)”終戦の決断ができたのだから、開戦を裁可しないこともできたはず”式の無茶苦茶な理屈を言い立てて、何が何でも天皇制度を破壊しようと頑張るわけである。この人たちについては、目的乃至心情が最初から”天皇制度の否定”と確定している以上、何を言っても無駄である。このような人たちは一応ここでは論外としておくほかはない。
 
 そこで、普通の常識的な人たちの中での②の立場をここでは問題とする。
 ライシャワーさんが指摘されたように(8/1の当ブログ参照)、明治憲法には欠陥があったと思う。(私流の例えで言えば、裁判官が終身刑が相当だと考えたとしても、法律に終身刑の定めがない以上―現在の日本の法律がそれである―、裁判官にはどうすることもできない。それと同じで、明治憲法天皇の独裁を認めていない以上、天皇といえども内閣の決定を覆すことができないのは当然である。従って、内閣が決定した開戦の方針を天皇が阻止しなかったからといって、天皇の責任を追及するというのは理不尽も理不尽、もう無茶苦茶である。それでも昭和天皇マッカーサーに対して、全ての責任は私にある、私の身はどうなっても良いから国民に食料を―と申し出られたと聞いている。A級戦犯の人たちは昭和天皇に不利な証言は一切しないことを申し合わせてそれを貫いた。立派ではあるが、家来が主君をかばうのは、日本人ならずともこれは当然のことであって、天皇に恩をきせる話ではない。(私は上坂冬子という人の精神構造が全く理解できない)天皇に不利な証言をして自分の罪を逃れようなどとする人間がもしいたとしたら、それは人間とは言えないではないか。兵士はみんな”醜の御楯(しこのみたて)”となって戦場に散華しているというのに、である。
 昭和天皇は退位をなさらず、ずっと天皇の位を保持された。このことが多くの日本国民に与えた安心感、国家の安定感は計り知れない大きなものであったと思う。昭和天皇がご自身のために天皇の地位を固持されたと解釈するのは僻見であると思う。退位して皆が納得するなら、天皇個人としてはその方が気楽でよかったであろう。(①のような人たちはそれでも、どこまでも責任を追求するだろうが・・・。論外だ)


 ある時テレビで、ある老婦人が言った言葉。「天皇陛下に責任などあるわけ無いじゃないですか。戦争の時は天皇陛下も国民も皆一緒に苦労したんですもの」これが血の通った言葉だ。