「字栴檀木」

 図版① は明治19年・大日本帝国陸地測量部測量の二万分ノ一地形図。
 図版② は明治43年・同上。


 ①図によれば、「字栴檀木」と明記されている。
 ところが②図では、「千旦センダ」と変化している。
 この2枚の地図だけから推量すれば、明治22年の市町村制施行に伴い、禰宜村ほか6ヵ村が合併して【和佐村】ができた時点で「栴檀木」が「千旦」と改称されたような感じを受けるがどうだろうか?。


 もう少し確かめる作業が必要なようだ。