清見原神社境内地の沿革

[神社]清見原神社境内地の沿革
(1)旧大友村氏神清見原宮」境内図 図A

(2)明治44年、近隣の四社を合祀して「小路神社」となる。
(3)大正の御大典を記念して西側に境内地を拡張【=第一次拡張】 。各社の建造物を「小路神社」境内に結集した。
↓図B・大正の御大典以後の境内配置図 

【上棟之記】によれば、
 大正五年三月二日起工、同九日神楽殿(元片江拝殿)上棟。同廿三日権殿(元腹見本殿)・末社(?)・神饌殿(元大友拝殿)竣工シ、同月・・日、本殿幣殿(元片江本殿幣殿)・拝殿(元中川拝殿)ノ上棟式ヲ挙行シタリ。
とある。↓
http://d.hatena.ne.jp/heisai/20160410

※図Aに図示されている「妙信寺」は大正御大典の時点では既に廃寺となっており、小路神社の第一次拡張に際して、神社境内地に編入されたが(=図B)、その約十年後の大正14年1月、現在地である東小路4丁目に再建された。(『生野仏教会三十年のあゆみ』による)
 なお、同寺は「小路幼稚園」を併設している。

(4)昭和15年、紀元二千六百年を記念してさらに南側に境内地を拡張【=第二次拡張】 。新しく現在の社務所を建設した。 図C
 昭和17年、「清見原神社」の現社号に復した。


↑【境内現況図】における「裏門(黄色部分)」と、旧池岸に残る「ミリンの古木(赤丸)」

※上掲の各図や要旨は『郷土誌いくの』第5号(1983.9刊)P16〜19「清見原神社」の項に拠る。

↓『わが郷土小路を語る』(2012.3刊)も参考にさせて頂いた。