東成郡中川村・松尾神社跡

[神社]東成郡中川村・松尾神社跡の石造物


↑故・柴田昭三氏作成『記念写真集』(平成十三年十一月献/清見原神社)より転載。↓

↓「松尾神社址」碑の裏面刻銘
  明治四十二年八月小路神社為合祀記念建立・書:東成郡長 木下貞太郎
  ※「小路神社」は「現・清見原神社」。この年、中川・片江・腹見・大瀬に鎮座の各社が大友の清見原宮に合祀され、「小路神社」となった。

↓「松尾神社址」碑の前にある石造物

↓手水鉢
  元禄八乙亥年(1695)
寄進
  □□□□□・・・・中西□周
 =釋翆岩生後12歳のころ に該当する。寄進者は中西某と読み取れる。



↓御神燈
施主 松江 太郎右エ門

天保十三寅十一月吉日(1842・壬寅)
 =釋翆岩没後97年目 に該当する。寄進者名 釋翆岩の俗名「松江 太郎右エ門」を刻すも、村人たちが翆岩の名で寄進したものであろう。



↓松尾宮

↓安永三甲午年正月(1774)
 =釋翆岩没後29年目 に該当する。寄進者刻銘なし。


※「御神燈」・「松尾宮」と刻された二基の角柱は、石灯籠の竿石と思われる。
 当地の松尾神社は明治四二年、大友村の清見原宮に合祀され、境内の建造物はすべて合併神社たる清見原宮に移設または移転されていたが、先年、現・清見原神社より旧・中川村関係者に対し、この二基の石造物の存在が通知された。その連絡を受けた中川正進会の大北雅一氏らが当所に持ち帰り、これらを宮跡に設置したという。