昭和天皇の叡慮 

heisai2006-07-20


 6/25以来、しばらく靖国の問題から頭が離れていた。7/18のブログ「近事片々」で松平元宮司とはやっぱり縁が切れないなあと思っていたら、今日、そのコメント欄に神友(=勝手にこう呼ばせて貰っている)のB氏より、モノ凄いビッグニュースのお知らせを頂いた。
 主な部分のみ再掲させて頂くと、(番号は私が付したもの)

2006/ 07/ 20日本経済新聞 朝刊
① 靖国神社(きょうのことば)文字数:274

② 昭和天皇発言メモ――個人の思い超えた「声」、全体が第一級史料。 文字数:1008

③ 昭和天皇の意志、明確に――時代の貴重な証言、富田元長官、日記や手帳に。文字数:919

④ 昭和天皇の意志、明確に――筑波宮司、「A級戦犯は後回し」、生前、長男に語る。文字数:497

 早速新聞を買いに走った。上記①②は第3面、③④は第39面に載っていた。
 B氏はここではなぜか省略されているが、第1面がタイトル・ボリュームとも最もビッグである。(約1350字)
 第1面のタイトル。
[A級戦犯靖国合祀]昭和天皇が不快感
参拝中止「それが私の心だ」
宮内庁長官 88年、発言をメモ             

 ほかにも、第3面に「合祀巡る論議に一石」の記事がある。(約900字)
 
 この富田朝彦宮内庁長官のメモによって、私が『澪標』で松平永芳宮司批判の論拠とした徳川義寛侍従長の著書『侍従長の遺言―昭和天皇との50年』の信頼性がはっきりと裏付けられたわけである。http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/miotukusi/2006/04/miotukusi060425.html


 6/24の当ブログの一部を再録すると、

靖国神社の現職の禰宜さんであるC氏のメールによれば、
「松平芳永宮司A級戦犯合祀を強行したのは、昭和天皇のご意向を無視したものであって、神道人として有るまじき言語道断の所業」と私が書いたことに対して、
「三流史料によって事実を捻じ曲げた”言語道断の所業”」と反駁されている。
 私は、昭和天皇に五十二年間側近として仕えた徳川義寛・元侍従長の著書『侍従長の遺言―昭和天皇との50年』の記述に基づいて書いた。
 侍従長の記述が信じられないとすれば、いったい何を信じればいいのか、その一流史料とやらを教えて頂きたい。


 C禰宜さんが、「侍従長の遺言―」を信用されない理由というのが我々凡人には理解できないところであるが、多分この人たちは富田元長官のメモの実物を実見したとしても、このメモの内容は捏造だ!と言うに違いない。それどころか、仮に昭和天皇から直接お考えを聞かされた場合でも、「陛下は君側の奸に惑わされておられる」とか「陛下はとうとう狂ってしまわれた」とか勝手な理屈をつけて、あくまで自分たちの考えを変えようとはしないだろう。
 こういう人たちこそ、”尊皇”を標榜しながら、天皇の意向を無視して股肱の重臣を殺害したり、場合によっては天皇を幽閉し、退位を迫って別の皇族を担ぎ上げたり、そういうことをしても一向に差し支えない[それが本当の勤皇だ]というような甚だ身勝手な、危険な思想の持ち主である。
 なぜ危険かというと、この種類の人たちは”勤皇を装っている”のではない。叡慮が間違っていたら、それに背いても正しいことを貫くのが本当の勤皇である、という極めて偏狭なイデオロギーに凝り固まっているところが厄介なのである。