日本書紀「太歳記事」に関するメモ(続)

[猪飼野]日本書紀「太歳記事」に関するメモ(続)

日本書紀 Wikipedia>太歳記事

 日本書紀には各天皇の即位の年の末尾に「是年太歳**」としてその年の干支を記した記事があり、「太歳記事」と呼ばれている。日本書紀が参考にした中国の史書にも「続日本紀」などのこれ以後の日本の史書にもこのような記事は無く、この記事がどのような意味合いを持つものなのかは不明である。
ほとんどの天皇については即位元年の末尾にこの太歳記事があるが、以下のようにいくつか例外が存在する。
このような例外が存在する理由についてはさまざまな推測がなされており、中には皇統譜が書き換えられた痕跡ではないかとする見解もあるが、広い賛同は得ていない[注]。
 [注]山田秀雄「即位前紀と大歳記事」『日本書紀』歴史新書、ニュートンプレス、1979年、P39-40。
神武天皇については東征を始めた年にあり、即位元年にはない。
綏靖天皇については即位前紀の神武天皇崩御の年と自身の即位元年にある。
神功皇后については摂政元年、摂政三九年、摂政六九年にある。
継体天皇については元年と二五年にある。
天武天皇については元年にはなく二年にある。

◎↑上記では、
神功皇后摂政元年、摂政十三年、摂政六九年にある」
となっていたが、先日、ウィキペディアのアカウント登録をした上で、
摂政十三年→摂政三九年 と訂正しておいた。(=平斎)