淡路の人形師「由良亀」三代と くいだおれ太郎

[猪飼野]淡路の人形師「由良亀」三代と くいだおれ太郎

 かに道楽の巨大ガニ、づぼらやの巨大フグ提灯とともに大阪名物「看板御三家」として並び称される「くいだおれ太郎」は、淡路の人形師「由良亀」という人が作ったと言われている。
 実はその由良亀氏は、私の住所から歩いて5分位の所に住んでいた。これは地元に古くから居る食堂のおばさんから教えられたことである。証言者の食堂の西本さん、および子供の頃から由良亀旧宅の真向かいに住む國津進次郎氏の二人は、くいだおれ人形が車で搬出されるところをたまたま目撃している。
 その人形が製作された昭和二十四年当時の由良亀氏の住所は「大阪市生野区猪飼野中一丁目二十二番地」、現在の住居表示で言うと「同区鶴橋5―6―4」となる。

 さて、「由良亀」という人形師には初代・二代目・三代目がおり、その三人のプロフィールは、
①『淡路の人形芝居』(新見貫次著・角川書店・一九七二年)
②『伝統芸能 淡路人形浄瑠璃』(兵庫県三原郡三原町教育委員会・二〇〇二年)
などに記述があり、これらに拠って初代〜三代目の実名・生没年等を示せば次のようになる。

●初 代 藤代亀太郎 安政五年(一八五八)〜大正十二年(一九二三)。淡路島の洲本市由良町四丁目で生まれる。
●二代目 藤本雲並(うんぺい)明治二十六年(一八九三)〜昭和三十六年(一九六一)。亀太郎の三男。藤本和吉の養子となり藤本姓を名乗る。
●三代目 藤本玉美(たまみ) 大正十一年(一九二二)〜平成九年(一九九七)。雲並の息。
 以上三人のうち「くいだおれ太郎」を作ったのは、二代目由良亀事・藤本雲並という人である。

 ところがウィキペディア(=ネット上の百科事典)を始めとしてネットの世界ではすべてこれが、
二代目由良亀(藤代亀太郎)
となっていて、初代と二代目を混同してしまっている。初代の藤代亀太郎は大正時代に亡くなっているので、太郎の製作者は二代目であることは言うまでもないのであるが、それならば名前は藤本雲並でなければならない。
 この混同説は、前掲①の記述に原因があり、その一五七頁に初代由良亀について、次のように述べられている。
 「谷崎潤一郎の小説『蓼喰う虫』に出てくる由良亀がよい作品を多少残している。(中略)非常に器用な人で、時計の修繕をしていた。
(中略)大阪の道頓堀の「くいだおれ」の店頭に、広告用の動く人形が太鼓を鳴らし、人目を引いているが、これを初めて考案したのも由良亀である。」
 この記述が②にそのまま引き継がれ、そしてその誤りがウィキペディアに反映し、ネット上の多くのサイトはウィキの記述を鵜呑みにしているのであろう。因みに『蓼喰う虫』(昭和三〜四年頃の作)に登場する由良亀も年代から推せば初代ではなく二代目である。
 それはともかくとして、淡路・洲本市由良の人形師である藤本雲並が大阪に居を移した経緯は、『文楽のかしらの変遷』(「国立文楽劇場所蔵文楽のかしら」所載・吉田文雀・二〇〇六年)に述べられている。これによると「(太平洋戦争が始まってまもなく、かしらの塗り替えや床山の担当者が亡くなったので)昭和十七年(一九四二)に淡路で人形の細工や時計の修理をしていた二代目藤本由良亀を迎え、かしらの手入れをしてもらうようになった」とのことである。     
そして昭和二十四年頃、くいだおれの創業者・山田六郎が店頭に飾る看板の人形の製作を猪飼野に住む雲並に依頼してきたのである。
 現在文楽の世界でこの雲並のことを直接的に知る人は、斯界の大御所で人間国宝吉田文雀師匠ただ一人であるらしい。師匠の師であった吉田玉市こそ雲並を淡路から招いたその人であり、完成したくいだおれ人形を雲並が玉市に見せにきたそうだ。その頃まだ二十歳を過ぎたばかりの青年だった文雀師匠はこの電動人形で面白がって遊んだ、と話して下さった。
 三代目由良亀・藤本玉美は若い頃、マネキンの製造をしていたが父である二代目の没後、人形師に転じたそうである(鬘司庵・名越昭司氏談)。くいだおれの柿木道子会長の談によれば、太郎のメンテナンスを玉美にずっと依頼していた、という。文献②によると、玉美は人形師として幅広く活躍し淡路人形座に大いに貢献している。
また、大阪で活動している「乙女文楽座」の古い座員は以前玉美から人形制作の指導を受けており、三代目由良亀の焼印を捺したかしらを愛用している人もいる。
吉田文雀師匠もお会いした時、ご自身が所持されているかしら二体をわざわざ見せて下さった。それぞれ二代目・三代目の由良亀の作品であった。
              (「大阪春秋」第132号『春秋随筆』より転載)

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文楽劇場の楽屋にて、由良亀作のかしらを見せて下さる吉田文雀師                    『ニッポン猪飼野ものがたり』P288より