播磨風土記の「猪飼野」考(続々々)

[猪飼野]播磨風土記の「猪飼野」考(続々々)

 一昨日、小野市立好古館のN氏から大変ありがたい資料が届いた。
 『山田の里地区発掘調査報告書―圃場整備事業に伴う遺跡確認調査―』(1993年 兵庫県小野市教育委員会)の【付載―山田町の現況(西田猛)】などのコピーであった。

 【山田町の現況】の必要箇所を以下に抄録する。
1. はじめに
 山田町は小野市の東南部に位置し、町の中央部には山田川が流れ、その両岸の丘陵および沖積地が町域となっている。丘陵に挟まれているため、古来からの田園風景が残されていたが、近年の圃場整備とゴルフ場の開発等によりその景観が変化しつつある。(後略。圃場は原文では「ほ場」)

2. 山田町の組織
 山田町の人口は423人で、川上より大上(オオカミ)・船付(フナツキ)・中山田・下山田の4つの最寄(もより)に分かれている。この最寄の由来は『市場町史』によれば、
  大上・・・・・山田町の最奥、水上にあるため。
  船付・・・・・昔この地は大沼で船が着いたことから、船着場という意味。
  (後略)
 戸数は現在85戸あり、1〜7組の隣保に分かれている。ちなみに下山田は1〜4組、中山田は5組、船付は6組、大上は7組となっている。(後略)

※平斎注・・・先日 好古館で買った『おの ふるさと散歩』(改訂版 1999年 小野市観光協会)に次のような記述があった。
 「この「船付」という地名の起こりは、昔小野藩の米蔵が山田町にあって、米を積んだ船が川を上り、この地に舟を付け、米を米蔵に入れたことによるといわれています。また、高砂住吉神社から、山田町の住吉神社へ御幣を運ぶ舟が着く場所であったからとする説もあります。」
 なお、この【山田町の現況】字舟附八坂神社の項に「この付近にゴングラと呼ばれる蔵があったともいう。」とあるが、「郷倉」のことであろうか。
※この地域では「垣内」とは言わず「最寄」と称する由。
※上記によれば、下山田の戸数が最大で、それ以外の「最寄」はそれぞれ10戸乃至10数戸程度の規模であるようだ。

3. 地名および景観(=平斎の理解による大意のみ記す)
 『山田村字限地図』(明治37年謄写)に55の小字が記載。東西に流れる山田川に沿う小字は田畑、それ以外の小字は概ね山林である。
 小字名と「最寄」の名とは必ずしも同じではない。その対応関係は大体(数字は小字図の通し番号)、
 ( 4)南ノ垣内・・・・・下山田集落がある
 ( 5)東之前・・・・・・下山田集落の東端にあたる
 ( 7)堂ノ前・・・・・・同上
 (10)中通り・・・・・・中山田集落がある
 (11) 先垣内・・・・・・中山田集落の東端にあたる
 (15)小田ノ芝・・・・(17)の西南に位置する
 (17)舟附・・・・・・船付集落がある
 (19)橋形・・・・・・(17)と(20)の中間に位置する
 (20)土天・・・・・・大上集落がある
となっている。

4. 水利(省略)
5. 寺・堂・神社
 (寺)当町には寺院はなく、三木市大村にある金剛寺真言宗。白雉2年 法道仙人の建立)の檀家。
 (堂)観音堂が4ヵ所(字 南ノ垣内・堂ノ前・中通り・土天)、三尊堂(舟附)の都合4ヵ所。
 (神社)
  ・稲荷神社(字 中通り
  ・八坂神社(字 先垣内。愛宕社も合祀されている。石造地蔵も同所にあり)
  X熊野神社(字小田ノ芝にあったが、字橋形の大歳神社に合祀)
  ・八坂神社(字 舟附の三尊堂内に安置。住吉社も合祀されている)
  X稲荷神社(上記の北西にあったが、現在高まりだけで社殿なし)
  ・大歳神社(字 橋形1102番地。山田町の氏神住吉神社のこと。後述する)
  ・稲荷神社(字 土天。個人によって祀られている)
  ・水神さん(山田川の水源となっている鶴池東端の広場にある石祠。
        毎年4月、山田・市場・池尻の役員合同で水神祭を行う。垂井住吉神社の               神主が神事を行う)
 (墓制)の記述は極めて興味深いが、ここでは割愛。