喜連・楯原神社探訪

[郷土]喜連・楯原神社探訪
 「喜連村史の会」を主宰されている寶圓寺住職・白川俊義さん方を訪問した。
約束の時間より早く着いてしまったので、楯原神社境内をぶらぶらした。その写真。

↑西参道右側の石灯籠【西面】楯原神社
【南面】摂(津国?)住吉郡杭全庄西喜連村
【北面】願主(大和屋?)藤四良 と読める。
【東面】文字が見えない。
年号が刻まれていればよいのだが。享保以前か以後かが問題だ。

↑本殿背後の八角形石灯籠
【北面】寛文十二壬子天六月吉日 敬白 北ノ方
   (=1672、霊元天皇御宇) 

↑【南面】摂秔住吉郡杭全庄喜連東 と読める。
【東面】は、奉寄進御神前石燈籠 施主** と読める。
【西面】は、(若者中同行*人統領**)か?。

↑ 南参道左脇に転倒放置してある、八角形石灯籠のもう片方。
 見えている部分の刻銘は、
  奉寄進御神前石燈籠
  寛文十二壬子天六月吉日 ** 南ノ方
と読める。従って**は 敬白 か。


なお、絵馬堂に懸かる釣鐘の銘は 「摂津国住吉郡杭全庄喜連天神宮」(年号等なし)


正面参道右側水盤 天神宮 正徳三癸巳(=1713、中御門天皇御宇)

※ 『五畿内志』が刊行された桜町天皇享保20年(1735 乙卯)・元文元年(1736 丙辰)頃を基準とすると、寛文12年は約60年、正徳3年は約20年むかし である。



寶圓寺さんは目下本堂の解体修理中。本堂を支える柱の礎石は総て檀家から寄進された石臼だとのこと。ご住職の談によれば、村の惣道場として創建された寛永*年からちょうど百年後の享保*年の建立とか。


↓下の写真は喜連へ向かう途中で立ち寄った長居の臨南寺の白龍大権現。