播磨風土記の「猪飼野」考(続々々々)
【山田町の現況】「大歳神社」の項を転載する。(写真は2007.8.16撮影)
「山田町の氏神で、字 橋形1102番地に所在する。創立は養老年間(713〜723)で現在垂井町に所在する式内社・住吉神社の元あった場所と伝えられ、住吉神社元宮とも呼ばれている。境内は、丘陵裾部を削平し造られており、周囲は木立に囲まれている。
拝殿は桟瓦葺、入母屋造の建物で、本殿はコンクリート製の覆屋の中に祀られている。
祭神は大歳だけでなく熊野・若宮・八坂・天満・愛宕・八幡などが合祀されている。
祭りは、10月10日で、子供相撲などがおこなわれる。かつては1月10日に的の行事もあったという。境内には、文化9年(1814)、宝永2年(1705)の御神燈もある。
なお、山田町は垂井町の住吉神社の氏子であったが、町内に大歳神社もあることから戦後脱退したとのことである。」
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8/16のこのブログに書いたように、昭和52年発行の『全国神社名鑑』にはっきりと「住吉神社」と載せられており、神社の現況を見ても、社号標や鳥居の額に「本宮 住吉神社」となっている(上掲写真参照)。
なのに、ここ(平成5年の記述)ではどうして「大歳神社」となっているのだろうか?。第一、住吉神社元宮とされているというのに、なぜ祭神が大歳神なのかについて何の説明もないのは甚だ不審である。
この点を好古館に電話をして尋ねてみたが、明確な回答を得ることができなかった。
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【9/13追記】
兵庫県神社庁へ電話で問い合わせたところ、山田町字橋形に所在の神社名は「住吉神社」である。祭神は表筒男命を主神とする三筒男神であって、大歳神その他の記載はないそうである。
一体、小野市にはいかなる訳か、大歳神社がやたらと多い。小野市所在の神社90社のうち、何と大歳神社21社、大年神社4社、合計25社で、全体の1/4以上を占める。【現況】の筆者は、多分どこかの大歳神社とうっかり混同してしまったのであろう。
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そのことはさて措いて「猪飼野」の遺称地とされる「草加野」のことである。
好古館から頂いた『小野市史』のコピーの2ヵ所に記述があった。
・ P87(播磨風土記にみられる小野市)
「猪飼野はいまの草加野(大開町)付近であろうが、・・・」
・ P167(小野市のおこり 市場村)
「猪飼野とあるのは今の草荷野(大開町)を指すのであろう」
すなわち、『小野市史』では<草加野・草荷野=大開町>と理解しているようだ。小野市大開町は山田町の西北に位置し、小野市栄町・日吉町・長尾町・山田町・万勝寺町および三木市細川町脇川に囲まれている。
『角川日本地名大辞典』だいかいちょう 大開町〈小野市〉の項によれば、
「昭和45年〜現在の小野市の町名。もとは小野市栄町・日吉町・長尾町・山田町・万勝寺町の各一部。
当地は、古くから開発の計画が何度も出されていたが、用水不足であることから一部の開墾地を除いてほとんどが荒地のままであった。
昭和21年、旧満州からの引揚者50戸(養父郡出身)が入植し、1戸につき1.3haの土地を付与されて厳しい開墾を進めた(中略)が、営農の成果は中々あがらなかった。同33年、東条ダムの水が来るようになって水田化が進み、生活が安定した。同35年、開拓碑・開拓神社を建立し・・・。」
となっている。
ちなみに『新旧対照 市町村一覧』(明治28年 中村鍾美堂)によると、大開町の周囲の各町の(明治22年以降の)旧称は
●現・小野市←<播磨国加東郡>
・栄 町 ←小野村大字後谷
・日吉町 ←小野村大字島谷
・長尾町 ←小野村大字長尾
・山田町 ←市場村大字山田
・万勝寺町←下東條村大字万勝寺
●現・三木市←<播磨国美嚢郡>
・細川町脇川←細川村大字脇川
である。(栄町・日吉町に該当する地名は同書には見当たらなかったので、『角川日本地名大辞典』によって旧地名を割り出した)
※なお、三木市細川町脇川と大開町が境を接する辺りに「三木市 加佐草荷野」という場所がある。三木市中心部に近い「加佐」の飛び地のようなものであるらしい。
(「加佐」の旧称は、播磨国美嚢郡久留美村 大字加佐)