2022-05-25 司馬遼太郎の鶴橋・猪飼野 鶴橋本通り「木村ふとん店」前のポスター掲示 「摂津河内余話(97)」<猪飼野ゆかり著名人番付④ 司馬遼太郎産湯の井戸の巻> 福田薬局などの店舗の長屋と、司馬さんの生まれた住居の長屋との間の ロージ(路地)の中ほどに、共同井戸の井戸枠がある。古風なものではない。 円筒型コンクリート製の土管である。 中は土で埋められていて、水はない。 このような井戸は鶴橋・猪飼野界隈にかつては無数にあり、 拙宅の近所、「一条通商店街」に面した北鶴橋郵便局の真向いにも 既に使われていないコンクリート製井戸筒が、つい最近まであった。 大正三年の調査によれば、「鶴橋町」に井戸が623個あり、 うち、飲料適48、煮沸飲料適9、ろ過飲料適63、飲料不適503。 水色は黄金色を呈し、中には全く泥色のものあり、と『東成郡誌』に出ている。 鶴橋町は低湿地であるため、飲料不適が圧倒的に多かったわけである。 福田薬局周辺に人家が建ち始めたちょうどその頃、 大正5年に東成郡鶴橋町に水道が敷設されているので、 司馬さんの生まれた大正12年(1923)には、共同水道ではあったろうが、 一応水道は使えたのであろうと思う。 井戸と水道の使い分けは、多分、飲料・炊飯以外は主に 井戸水を使ったのではなかろうか? さて、司馬さん生家の路地にあるこの井戸は、 近所で古くから写真館をされていた「トキワ写真館」のおばあさんが、 あの井戸で司馬さんも産湯を使った―という ”ビックリ証言”をされていることが最近わかった。 私は町案内の時、いつも、この井戸は司馬さんの産湯の井戸です (―ただし、これは私の冗談です―)と言っていたのである。 それが司馬さん生家の近所である「木村ふとん店」さんが子供の頃に トキワのおばあさんから聞いていた、と聞かされ、 冗談のつもりで吹聴していた当人の私が、 このウソから出た誠に逆に”ビックリ仰天”したという次第である。(2022.5.26 記)