浅草寺雷門と水戸黄門、金竜観音

heisai2006-07-13


 浅草寺雷門の龍神の像について(7/7の当ブログhttp://d.hatena.ne.jp/heisai/20060707)の補足である。
 下村満子著『松下幸之助「根源」を語る』の記載をちょっと紹介しておいたのだが、私の頭には「雷門には雷神・風神の像のはずなのに」という疑問があったので、実は京都のPHP総合研究所へ電話を入れて問合せていた。
 その数日後、『松下幸之助発言集第31巻』(平成4年刊)P134に「三木老人と浅草の雷門」の記載のあることをご教示頂いたが、今日また浅草寺発行の『雷門昭和再建誌』(昭和35年刊)のコピーを送って頂いた。
 この二書と、先日このブログで紹介した『四天王寺極楽門漆絵壁画』(昭和41年刊)との三者を参看すると、「三木老人」は、大阪・四天王寺極楽門、浅草の雷門という、この東西の代表的大寺院の重要な門の再建に関わっていたことがわかる。
 『・・・発言集』では、松下さんがこう述べている。

「本年八十五歳になる方であります。いまの皇室とも非常に縁が深い人で、皇居に対しては”木戸御免”であるというような老人であります」「この人は非常に世話好きな人でありまして、東京の歌舞伎座のごときも木戸御免である」
『雷門昭和再建誌』「雷門の落成を慶ぶ(清水谷恭順)」に
「―その雷門が、当寺顧問松下幸之助氏のお蔭で、今回出来上がったのであります。(略)
 数年前松下顧問は相当重い病にかかられたことがあります。すると三木翁が私を訪ねて、「松下さんの病気の治るように、観音さまに祈願して下さい」と申されたので私も一心にお祈り致しました。すると間もなく治られ、お礼詣りに来られ、私はテレビを頂戴しました。・・・」というようないきさつが述べられている。
 詳しくは省略するが、どちらのお寺についても、松下さんはこの三木老人、すなわち三木啓次郎という人の勧めに従って門を寄進しているわけである。(私が以前、松下電器の社史室辺りに尋ねた際の答えは「雷門の提灯」を寄進したという話であった。いくらデカイ提灯か知らないが、天下の松下電器が提灯だけとは?とフシギに思っていたが、事実は「大提灯も」であったことが分かった。
 こんな面白いサイトがあったので参考までに。(ここにも「大提灯を寄進」と書かれている)
http://www.edo.net/edo/0204diary/2006/20060128.html
 【松下幸之助氏の「ナショナル」がテレビで何か放映したいという話があった時、三木啓次郎氏が、「明るいナショナル」のイメージから、正義は明るく正しく世の中に行われなければならないという考えから、水戸黄門のドラマ化を推薦した、といういきさつがあるのだそうです。松下幸之助氏は、「“水戸黄門”が続く限り責任を持ちましょう」と語られたという話です】(あほまろとモモちゃんの 今日の浅草日記)より

 さて、冒頭に述べた”龍神の像”の件だが、このサイトに説明と写真が載っていた。
浅草寺と三社様』http://www7.ocn.ne.jp/~sehayama/oteratojinnja.htm#oteratojinnja
 これによれば、風神・雷神の裏側に天竜・金竜の二像があり、天竜平櫛田中、金竜は菅原安男氏の作、となっている。

 そして、金竜がさらにもう一つある。
「松下社長は龍神信仰を持っておられることをきき、記念に故佐崎霞村先生門弟の村岡久作氏謹刻の金竜観音厨子入りの立派な尊像を製作し、落慶式当日、松下幸之助氏の守護仏像として贈呈いたし同家に永く奉安を願った。・・・」(『雷門昭和再建誌』)
 
※写真は、大阪・四天王寺極楽門の銘板。