「ヤブユム双身像」と「双身歓喜天」との区別

 密教文化・印度文化に関する研究家(1950年大阪大学卒業)である【阿能仁(あのう・じん)】氏の書かれた『白浜美術館ラマ教インド教像展の概説』の内容をちょっとメモしておきたい。その目次は次の通りである。

1.密教の興起
2.タントラ仏教(後期インド密教
3.流出思想
4.チベット仏教ラマ教
5.ヤブユム双身像
6.尊像の多様性
7.持物とその欠落について
8.日本密教の双身像
9.歓喜天双身の由来について
10. 聖天の秘仏性・単身像


● 内容(面白い部分)のメモ
2.タントラ仏教
 後期のインド密教は、性力(シャクティSakti)崇拝=女性性力の崇拝を多く採り入れて性的要素が濃厚となり、さかんにタントラTantra(秘密経軌)を制作した。大楽(マハースカ)の状態を不二(アドヴァヤ)と称し、このときの菩提心の状態を女性に抱擁されたようなものだと説明した。
 そして、この状態を象徴して双入(ユガナッダ)神の概念すなわち男女神の合一する双身像が考えられた。
 しかもこの教徒は、婦人を明妃(シャクティ)と名づけ、それとの交会(マイトゥナ)を瑜伽(ヨーガ)と称して実修し、これを救いにいたる有力な要因と考えた。
5.ヤブユム双身像
 チベットでは、両性結合の尊像のことをヤブユムYab-yumと呼ぶ。
 ヤブは父または男性、ユムは母または女性を意味する。
 だから「ヤブユム像」は直訳すれば父母像または男女像なので陰陽仏ぐらいに意訳できよう。
  「歓喜仏」という通俗の呼び方は、「歓喜天(=聖天。ヤブユムとは別の意味の双身像)」からヒントを得て、本邦もしくは中国で起こったものだろうが、呼称としては正しくない。
8.日本密教の双身像
 日本密教の、歓喜天(聖天、毘那夜迦[ビナヤキャ]王、誐那鉢底[ガナパテイ]ともいう)の抱擁は、アドヴァヤ(不二)や、子尊流出(生殖)のためという意味ではなく、仏教の観世音が外道の邪神たる毘那夜迦天の悪行を調伏し、仏道に帰依せしめるための条件としての抱擁であって、ヤブユムとはまったく意味が違う。