東京方面ツアー(続)

[雑記]東京方面ツアー(続)
二日目









【寅さんハニワ】偶然のふしぎ
正倉院蔵の戸籍帳に「孔王部刀良(あなほべノとら)」なる男と「孔王部佐久良売(あなほべノさくらめ)」なる女の名が記載されていて驚いた。その上、帽子を被った「寅さんハニワ」が発掘されたのが偶然にも渥美清の命日と同じ8月4日だったことに一層驚いた(=山田洋次監督談)という。


浅草寺「雷門」の銘板、世話人の【三木啓次郎とは?】
(あほまろとモモちゃんの 今日の浅草日記)http://www.edo.net/edo/0204diary/2006/20060128.html によると、
 <浅草寺本堂の左側に、奉納した人の奇妙なプロフィールと共に、大きな石が置かれているのをご存じですか。いったい何のために奉納されたのか、この石にどんな由来が有るのか全く判りません。ただ、これを奉納した方の自慢のような由来だけが矛らしく掲げられているだけなのです。
 「奉納 昭和三十三年十月十八日 浅草寺本堂完成記念 水戸徳川頼房公 水戸黄門光圀公 家老三木左大夫源之幹 子孫 三木啓次郎」
 これって、単なる自慢なのでしょうか。三木啓次郎氏なる人物を調べてみると、確かに水戸光圀公の生誕に関係した三木仁兵衛之次(ゆきつぐ)氏の御子孫で、昭和47年に95歳で逝去されたそうです。彼の履歴を調べていて、「水戸黄門松下幸之助」の関係。そんな面白い逸話を見付けました。

 松下幸之助氏の「ナショナル」がテレビで何か放映したいという話があった時、三木啓次郎氏が、「明るいナショナル」のイメージから、正義は明るく正しく世の中に行われなければならないという考えから、水戸黄門のドラマ化を推薦した、といういきさつがあるのだそうです。松下幸之助氏は、「“水戸黄門”が続く限り責任を持ちましょう」と語られたという話です。)
 松下幸之助といえば、雷門の大提灯を奉納したことで有名な人。今でも、大提灯の正面には松下電器の金文字が輝いているのです(平斎注:「雷門大提灯」が正しい)。三木啓次郎氏、小説で創られた水戸黄門ちゃまの逸話、まともに信じ込んでいる方だったのかもね。
 また、三木啓次郎氏は、千葉周作先生より直伝の北辰一刀流の極意を上梓した「剣法秘訣」を会得した剣術の師範でもあったようです>
となっている。
【参考文献】久野勝弥「「水戸黄門」と松下幸之助(高橋三郎聞き書き)」(『これが水戸黄門だ!』所収、日之出出版、平成15年11月19日発行)=『小さな資料室』資料67「大老井伊掃部頭直弼台霊塔について」http://www.geocities.jp/sybrma/67iinaosuke.daireitou.htmlによる。
ついでの【参考サイト】http://d.hatena.ne.jp/heisai/20060707
           http://d.hatena.ne.jp/heisai/20060713
       



浅草のシンボルで浅草寺の正面入口、総門「雷門」は、天慶5年(942)の創建。数度の火災などによって失われ、慶応元年(1865)焼失のあと、なかなか再建が実現せず、昭和35年(1960)に現在の門が再建されるまで95年間にわたって「雷門」は地名だけの存在だった(=大意)。現在の雷門は、
松下電器産業(株)の創始者松下幸之助氏により寄進された
龍神像は、
昭和53年3月、浅草寺の創建1350年を記念して松下グループ有志から寄進された
天竜像 高さ 2.93m、重さ 250kg (男性像)
金龍像 高さ 2.74m、重さ 200kg (女性像)
平櫛田中(天龍像を担当、他に代表作、六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」、この作品は国立劇場に展示)・菅原安男(金龍像を担当、他に高野山金剛峯寺金堂の仏像復元)両氏の作品、木曾檜造り
 浅草寺の資料によりますと「龍神」は古くから海難からの守護神、また五穀豊饒を守る善神として信仰されています。ここでは「龍神は仏法を守護する」という信仰に基づき雷門の守護神として奉納されたものです。金龍山浅草寺という寺号に因み、龍神を天龍・金龍の男女二体に擬人化したもので、天龍像は中国出土の皮の腰鎧をつけており、金龍像は中国に伝わる裙((もすそ)をはいた立像として表現されています。擬人化された龍神像であることがそれぞれの神像には尻尾が付いていることでわかります。(「浅草の歴史と観光」より転載)
http://www7.ocn.ne.jp/~sehayama/topics4kaminarimon.htm