撫凹村は久保村だ!(丑歳元旦の夢想)

[猪飼野]撫凹村は久保村だ!(丑歳元旦の夢想)

 昨年の暮れ、友人のS氏との雑談で、『日本霊異記』中巻第五話に出てくる「摂津国東生郡撫凹村」はどこだと思うか?という話が出た。
 その「撫凹村」については、『角川地名大辞典』(大阪府)に次のように説かれている。

▼〔古代〕平安期に見える村名。摂津国東成【ひがしなり】郡のうち。「日本霊異記」中巻第5の「漢神の祟ニ依リ牛を殺して祭り,又放生の善を修して,現に善悪の報を得る縁」という話に「摂津の国の東生の郡撫凹の村に,一の富める家長の公有り」と見える。これは当村にいた1人の金持ちの話で,この男が異教に迷って牛を殺したことから病にかかり,その償いに放生をし,死後閻羅王宮で善悪の報を得るといい,同様の話が「今昔物語集」にも見える。当村の比定地は,現在の大阪市東部と思われるが,詳細は不明。


 元日朝の布団の中で、「撫凹・撫凹、牛・牛」と頭の中で繰り返しているうちに、とうとう「撫で牛・撫で牛」→「石でできた撫で牛」→「そうだ、それは牛が石になったのだ!」となってしまい、四天王寺東門から境内に入っていって、亀井水の東側に確か「牛王尊」とか「石神堂」とかいう小さなお堂に、その妄想がジャンプしていった。
 そこに祭られている牛さんは、確か、資材を運び終えて石に化した―というような話だった。http://kamnavi.jp/mn/osaka/sitenouji.htm
 【四天王寺創建の時その材木・材石を乗せてひいた牛変じて石神となり、永く衆生を利益せんとの誓願により建立されたもの。南無大聖牛王尊と唱える】(「神奈備にようこそ」より。写真も↓)


 そこで、私の妄想は、”牛が石に化した”というのは役割を終えた牛さんが”食べられて骨になった”か、または”神の生贄として殺された”ことが説話化したもの、という結論に到達した。
 すると、この「撫凹村」は四天王寺の東門から近い久保村(=天王寺七村の一つ)だ!というところに行き着く。

 その先の妄想はこうである。
 <猪飼の津で陸揚げされた四天王寺の建築資材を運び終えた牛さんが石に化した---のである。

 猪飼の津すなわち今の鶴の橋から桃谷本通りを西へ、その途中で二股に分かれた分岐点を左にとるとむかしの古道は自ずと天王寺の東門に到達するが、久保(窪)村はその東門の手前の真法院の少し南側に位置している。
 久保神社http://kamnavi.jp/en/settu/kubo.htmの北側に南京寺の関帝廟http://kamnavi.jp/ym/kanteiosk.htmが存在するのも、「漢神の祟ニ依リ牛を殺して祭った」という中国の習俗と、偶然とはいえ、うまくマッチしているように感じられる。>
 <また久保神社の祭神は現在は天照大神だが、明治以前は「牛頭天王だった」というのも殺牛の習俗を思わせるところがある。http://d.hatena.ne.jp/heisai/20080131


 そういうわけで、「撫凹村」は私の頭の中では完全に「天王寺の久保村だ」ということになってしまったのである。