摂津百済寺の心礎探索
◎百済の亡命氏族が難波に建立した百済寺の塔心礎の手がかりを求め探訪会◎
古代朝鮮から渡来した百済王の子孫らが難波に移住し、氏寺とした摂津・百済寺。
その有力候補地が天王寺区堂ヶ芝一帯に広がる古代寺院跡・堂ヶ芝廃寺だ。
だが、シンボルとされた塔の中心柱を支える 巨大な礎石(心礎)は戦後、行方不明
のままで、日韓交流の足跡を探る地元グループが、再発見し地域おこしにつなげよう
と手がかりを求めている。20日に一 般向け探訪会を開き、現地などを歩く。
堂ヶ芝廃寺は、JR大阪環状線・桃谷駅北西の豊川閣観音寺境内周辺。大阪市
文化財協会の発掘調査で、白鳳〜奈良時代の四天王寺や難波宮跡などに共通
する文様の瓦類などが出土。一帯は、日本書紀 に天智天皇3年(664年)、唐や
新羅との戦いに敗れた百済の王族・禅広が亡命したとあり、以来、一族が住んで
百済郡が設けられたという。
堂ヶ芝廃寺がその氏寺・百済寺跡とされる根拠は、大量の瓦のほか、戦前まで近
くの生野区内にあったとみられる塔心礎。日本にほとんど例のない方形の柱座を持
ち、百済後期の都、扶余(韓国忠清南道)の軍守里廃寺のものに近い。1930年刊
「大阪史談会報」第5号には「百済寺礎石」と、写真入りで紹介され「今、福本元之助
氏邸内に保存されている」とある。
生野区の姜信英(カンシニョン)猪飼野(いかいの)探訪会代表や足代健二郎・
府文化財愛護推進委員らが調べたところ、問題の礎石が戦後、不明になっていること
が判明。記録にある福本氏は31年までユニチカの前身、大日本紡績副社長などを
務めた関西財界の重鎮 で、生野区猪飼野西4に住んでいたが、後に邸宅跡は
整地され、心礎の行方はたどれなかった。
姜代表らは「日韓交流史の記念碑的な礎石で、何とか見つけ出し、地域の活性化
にも役立てたい」と話している。
猪飼野探訪会は、20日午前10時に桃谷駅改札口前集合。1000円、昼食代
各自負 担。雨天決行。問い合わせは電話090・ 5018・8995へ。
(読売新聞朝刊(2008.3.15)記事より)
<猪飼野探訪会>のHP↓
http://tanboukai.ikaino.com/