息長川論争

[郷土史]息長川論争

昨年10/21のブログ「百済川・今川合流点付近の橋」
http://d.hatena.ne.jp/heisai/20071021 の中で、

 今川の最上流(緑橋)から5番目の「平等橋」のたもとに【南百済公園】がある。「平等橋」は【平等堤】ゆかりの橋名。確か「息長川」万葉歌碑の建立予定地はここではなかっただろうか?。

ということを書いた。
 その万葉歌碑建立運動の推進者・三津井康純氏の協力者である梅本雄三氏からの消息によれば、、大阪春秋秋号・第132号に氏が寄稿された「歌宴の情景からみた息長川の喜連川(今川)説」に対して二派の人がHP上で盛んに反論を述べておられる、とのこと。
 一は息長川=平野川説であり、一は息長川=古東除川説であるという。
 いわば今や三つ巴の状況であるらしい。

 正直言って、微に入り細を穿つような専門的な論争に自分如き門外漢が意見を差し挟めるような事柄ではない。
 従って至って情緒的な見解になってしまうが、自分の気持ちとしては由緒ある【平等堤】の名を負う「平等橋」のたもとの【南百済公園】は万葉歌碑の建碑場所として比較的ふさわしい場所だと思っている。

 なぜ「比較的」かと言うと、この問題に関して、決定的証拠を掴むということは多分難しいのではないかと思うからである。
 喩えは適切でないかも知れないが、近世の宮本武蔵の生誕地ですら複数の候補地が本家争いをしている。況やこの問題は奈良時代の出来事であって、川筋などは幾たびも変化を繰り返しているのではなかろうか。

 まぁ程々に言うとその「反論者」の方々はきっと怒るに違いないが、傍目からすると少々”大人気ない”という印象である。反論者は反論者の思う場所に独自に碑を建てれば良いのではなかろうか。複数の碑が建ったからといって地球がひっくり返るほどの大問題でもない。むしろその方が世間の関心が高まって良いかも知れない。
 
 とまぁ、素人の無駄口はそれ位にして、ある情報によれば、喜連町歴史研究グループは北村家文書を研究課題として取り組み、字・伎人の所在地を突き止めたが、それによると字・伎人は喜連町の南(長居公園通)の近くに当り、京嶋覚氏の馬史国人邸の推定位置に近い―とのことである。