猪飼野から「アパッチ部落」へ

heisai2006-10-31


宮木謙吉氏著
猪飼野から「アパッチ部落」へ梁石日を歩く”―日韓・日朝関係史の底流をたどる―」の抜粋
 ④「疎開道路」 ・「猪飼野」から続く疎開道路、正確に言うと"新"疎開道路というところだろうが。中央通りを越えて、新たに平野川までのびている。正式な名称は「豊里矢田線」となっており、「疎開道路」.の公的名称として、その命脈を保っている。
 ⑦旧「アパッチ部落」エリア 
・小説の舞台となった「アパッチ部落」
・「平野川」「船着き揚」「水道管」ただ一軒残るといわれる当時の「住宅」………。
 ⑧「水道管」址 ・「アパッチ部落」から、砲兵工廠へと進む”四つの道”のひとつといわれる「水道管」も、今はない…。わずかにその痕跡をうかがわせるポイントが残る。
 ⑨「城東線・大阪環状線」ガード下 ・ モダンな高層建築が林立するビジネスパークと「アパッチ部落」をつなぐ“時空トンネル”のような役割をもっているようなガードである。現代と過去を結ぶ、貴重な“史跡”とすら言えるのでは…。
・ テレビの映像や写真集などで、必ずといっていいほど紹介されるスポットとなっている。

小路→(内環・阪東大橋を渡りきって降りた所)放出住宅前を西へ折れる→(城見通りを西へ2.5km)OBP城見1でUターン→玉造筋を南下→弁天橋の手前、歩道の東側に下りのスロープと石段があり、下りきった所が東行きの小道につながっていて、すぐにJR環状線の低いガードを潜るようになっている。そのガードの手前右側、今下ってきた石段とJR環状線に挟まれた、せせこましい空間に「喫茶・軽食/ 鐘(かね)」という小さい店が建っている。
 その店に向かってすぐ右手が、手の届きそうな低いガードである。これを潜るとすぐ右手に廃屋かと思われるような小屋があり、「喫茶」と書かれたプラスチックか何かの板が打ち付けられたままの状態になっている。そしてその廃屋に向かって右側がガード下につながっていて、そこには潰れた自転車その他のゴミがいっぱい放置されている。ところがガードと反対側、すなわち廃屋に向かって左側は一応人の住めそうなマシな小屋になっていて、朝からカラオケのような音楽が大きな音で聞こえてきた。この小屋の3つの部分は中が繋がっているのかどうか定かではない。
 その小屋の前を抜けると、急に視界が広がって、第二寝屋川(この部分は平野川の延長)沿いの東西の道と、JR環状線東側沿いの北行きの道に分岐している。川に沿った、少し高い護岸の上に登ると見晴らしがよい。汚れた川だが満ち潮のためか、かすかに懐かしい海の匂いがする。対岸に白鷺の姿も望見された。
 旧・アパッチ部落のなごりかと思われる、この辺りを少し探訪。(城東区鴫野西2)
 
 再びガードを潜ってもとの場所に戻り、喫茶「鐘」のドアを開けて覗いてみると、店のおばさんらしい人が二人もいて、営業している様子なので試しにちょっと入ってみることにした。
 一番奥まった席でコーヒーを飲んでいると、しばらくして若いサラリーマンが数人入って来た。こんな穴倉の底のようなヘンな立地の店だが、それが逆に面白いのか、結構流行っているようにも見えた。先刻、初めてこの場所に下りて来た時も、この小さな店の前の狭い道を、自転車に乗った人などがひっきりなしに通行する(自転車を持ち上げて石段を昇り降りしなければならないのに―)のには全く驚いたものだ。店のあばさんの話では、ここは「JR大阪城公園駅」に近く、駅から東へ行くにはこの道しかないので通勤路になっている、とのこと。実にふしぎな空間である。

※小さい写真は、旧・アパッチ小屋の近くの護岸上から東の方角・下城見橋(新・疎開道路に架す)を望む。