二股ソケットとセパラ・ボディー

heisai2006-07-25


 きのう書いたことの要点はこうである。
 エジソンアメリカの発明家が二股ソケットを考案しなかったとすれば、それはアメリカでは壁コンセントが一般家庭にまで急速に普及したために、天井から下がっている電灯用のソケットを二股にする必要がなかったからではないか?・・・。
 そのように考えれば一応りくつの筋は通りそうだ。

 だがドッコイ、この図録におもしろい証拠品が一つ掲載されている。(『発明王エジソン展』ヘンリー幸田・監修、2006、NHKプロモーション刊、P75)
 この写真の説明に、「1910〜1930」「ほとんど現代のヘヤーカーラーと変わりませんが、当時の電気事情からか全てのカーラーに、電球のソケットをコンセントにする専用アダプターが付属しています。」
(注)1910〜1930は、日本では明治43年昭和5年に該当。
① 1906年〜、日本では(米国GE社から輸入していた真鍮製ソケットの代わりとして)陶磁器製ソケット国産を開始。
② 1910年頃〜1920年頃、日本では国産の「練り物」製のソケットを製造。(松下の起業は1917年)
③ 1920年頃〜1930年頃、日本ではフェノール樹脂製ソケットを開発・製造。各種配線器具製造盛ん。
 上記(=簡略化してある)の①②③を通じて日本では、
● 銀行・オフィス・邸宅・・・壁コンセント+差込みプラグ(米国製)
● 一般家庭・・・・・・・・・電灯用のソケットのみ(国産品)
というような状況だったと推測される。

 しかし電気の先進国アメリカでは、一般家庭ですら日本における邸宅なみに各種電気製品を使用のための壁コンセントが完備していたのではないか?というのが昨日書いた推測の前提条件である。

 しかし、写真のヘアーカーラーをみると、差込プラグを壁コンセントに差し込んでの使用もでき、場合によっては電灯用のソケットにも接続することが可能なように、専用アダプターを付属している。
※ この専用アダプターを日本では「セパラボディー(セパラブル・プラグボディー)」という。
 図録の説明文には「当時の電気事情からか」と記述している。講演の後、ヘンリー幸田氏に質問してみた。氏の答えは「電球の口金にもいろいろの種類があったように、当時は接続器具の規格がまだ不統一だったからではないか」というふうなことだった。
 しかし私はそういう問題ではないように思う。
 私の考えでは、アメリカの家庭で壁コンセントが相当に完備していたとしても、洗面台・学習机・キッチンなどあらゆる所にコンセントが付いているという今日のような状況ではなかったに違いない。そうすると、やはり天井から下がっている電灯用のソケットに接続する方が使用上便利な場合もあった、ということであろう。

 そこで、二股ソケットが問題となる。