松下幸之助さんの宗教観の一端

heisai2006-07-06

 
 松下さんには、加藤大観というふしぎな坊さんがついていて、会社の守護神については、大体この人の意見に従ったようだ。
しかし松下さんは、特定の宗教・特定の神仏に帰依していたというわけでもなく、従って、もちろん加藤大観一辺倒というわけでは全くない。むしろ、加藤師の意見の反対ばかりを行くという風であったらしい。このご両所の関係というのは中々興味深いものがある。
 それはともかくとして、松下さんの宗教観については、谷口全平著「南無根源!―松下幸之助の宗教観」(『論叢 松下幸之助』第2号 2004.10 PHP総合研究所刊。著者は同所研究顧問)に詳しく述べられているので、このメモはほんのその一端である。http://research.php.co.jp/kenkyu/report/pdf/k_kenkyu/13taniguchi.pdf

・ 松下さんは、実家の浄土真宗だけではなく、真言宗禅宗神道天理教大本教金光教弁天宗キリスト教創価学会立正佼成会等々との幅広い付き合いがあった。しかし、どの宗教の信者にもなっていない。

・ 昭和14年、西宮光雲荘に善女龍王(京都醍醐寺の鎮守・清瀧大権現と同体ともいう)を祀ったとき、松下さんは龍神を祀るだけではどうも物足りなく思ったと言う。そこでみずからが考えた天祖大神という神様を祀った。
・ 終戦の一年後、昭和21年11月3日、松下さんは世と人のあるべき姿を衆知を集めて研究するためにPHP研究所を創設した。
 (PHPの大意=物心一如の繁栄によって平和と幸福をもたらそう)
・ 昭和36年8月、松下さんは松下電器の社長を辞し会長に就任したのを期に、会社再建のためしばらくおろそかになっていたPHPの研究を再開するため、京都東山山麓に真々庵を設けた。(”真々庵”の名は、真理を探究する場といういみでつけられた)
・ 翌37年、その庭の一角に「根源の社」を建設。「最初は天祖大神というたけど、大神ということはいかん、やっぱりPHP研究の考え方でやらないかんということで”根源の力”ということになった」

・ 「正しい宗教というものは、人間の幸せに資するものでなくてはならない。過去に幾多見られた宗教戦争のように、宗教のために人間同士が相争い、人間が犠牲になるというようなことでは、宗教の意義はない。宗教は恒久不変の真理に立脚し、しかもその時代時代にふさわしい説き方、教え方がなされなければならない。」(松下さんの言葉を、私見により、勝手に切り縮めさせて貰った)(不変・不偏・普遍)