纏向学講座

[歴史]纏向学講座
ヤマト王権誕生の地纏向」
主催:平群史蹟を守る会(夏季公開講演会)
講師:桜井市纏向学研究センター主任研究員
   橋本輝彦 先生










こんな辺鄙な平群町の公民館で、300名を超す盛況だった。纏向・邪馬台国の人気のほどをよく示していた。邪馬台国は水掛け論になるので、と講演の中では言明を控えておられる様子だったが、持論が那辺にあるかは、大体窺うことができたように思う。

知らないことばかりで、とても勉強になった。

なかでも最後の方、鳥見山の金崎古墳出土(等彌神社旧蔵)の鏡や、上牧町の久渡3号墳出土の画文帯環状乳神獣鏡の話は、特に目新しく感じられ、写されたMAPの「磐余地域の首長墓・金崎古墳群」の字幕が印象に残った。磐余地域・鳥見山は興味深い。
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-3.pdf#search='%E7%BA%8F%E5%90%91+%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%B4%80%E8%A6%81+%E7%AC%AC%EF%BC%93%E5%8F%B7'
 「さらに、神社所蔵の資料ではないが今一つ注目すべき資料として、東京国立博物館所蔵の鏡の中に明治34年に個人より寄贈された「奈良県磯城郡桜井町字金崎山林ニ於テ発堀ノ・・・」とされる面径20.8 ㎝の三角縁二神二獣鏡(写真1)がある。注目すべきはこの鏡の出土地がやはり字金崎であること、そして副葬された年代が前期に遡る可能性が高いことで、先の「奉納之覺」所収の鏡の存在とあわせると鳥見山の北西へと延びた字金崎の尾根上(図1)に前期古墳が存在した可能性は高いと考えるが、惜しむらくは金崎の尾根は昭和37年に始まった宅地造成と学校建設に伴い数基の横穴式石室の調査が行われたのみで丘陵の全てが消滅しており、墳丘の状況などの確認の手立てが失われてしまったことである。」(『纏向学研究』第3号・2015年 より引用)
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卑弥呼の鏡」の説がある画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)が、桜井市の等彌(とみ)神社に神宝として所蔵されていることがわかり、調査した桜井市纒向学研究センターが研究紀要で報告した。他にも鉄刀と勾玉(まがたま)が確認されており、古代の遺跡が密集する市内の鳥見山周辺の古墳から出土した可能性があるという。

 画文帯神獣鏡は破片で、鏡全体の4分1程度が残る。(平斎注:この記事は疑問である。破片の軸装拓本と写真、であろう。映像の三角縁二神二獣鏡の方は、金崎出土ながら、東京国立博物館蔵)一番外側の文様帯は渦雲文。鋸歯文(きょしもん)帯や半円文などを挟み、一番内側のメーンの文様には神像の黄帝(こうてい)や侍者(じしゃ)が配置されている。復元すると、直径が約21センチの「画文帯環状乳神獣鏡」になる。鋳上がりの良い中国鏡と考えられている。

 等彌神社は鳥見山西麓に位置し、2千年近い歴史を持つとされる。古事記によれば、鳥見山は神武天皇が大嘗会(大嘗祭の起源)を行った場所で、周辺には桜井茶臼山古墳(4世紀初め)など古墳が密集。邪馬台国の有力候補地である纒向遺跡にも近い。纒向学研究センターは鳥見山周辺で出土した鏡などが等彌神社で保管されてきたと推定。「鏡はヤマト政権が在地の首長に与えたものと推定され、ヤマト政権による支配体制を考える重要な資料になる」としている。
↑ http://kofun.jp/news/4060.html から転載。