山科論文への素朴な疑問

[歴史]山科論文への素朴な疑問
まえおき
 一昨年(二〇一四年)一月、在野の古代史研究家である山科威氏が
日本書紀古事記 編纂関係者に抹消された 邪馬台国
なる労作を発刊された。

 同年三月、大阪日日新聞の人物紹介欄“大阪ヒト元気録”で山科氏はこの本の著者として取り上げられたが、その記事のタイトルは、
 邪馬台国なぜ記紀にない」邪馬台国の謎を追った著作を出版 山科威さん
というもので、記事の本文では、
古事記日本書紀の中で邪馬台国についての記述が存在しない謎について独自に切り込み・・・・・”
と、本書の特徴を紹介している。
大阪日日新聞 連載・特集 ≫ 大阪ヒト元気録
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/genkiroku/140319/20140319046.html

 私が本書を一読させて頂いたときの印象は、“論理に矛盾や飛躍がなく、従って、この論文は歴史学会や一般読者にも十分受け入れられるのではないか“というものであった。

 著者ご自身(以下、Y氏と表記)もその後、いろいろな団体の中で研究成果を発表されるなど、自説の普及に務めておられるようであるが、今の所、中々ブームとまでは行かないようである。

 だとすると、本書にはどこかに欠点もしくは弱点があるのだろうか? あるとすればそれはどのような点であるのか? 
 テーマが難しすぎるのか?
(※いや、反応は皆無ではない。このような絶賛の声もある。↓)
読者による山科説紹介記事(teacup.ブログ“AutoPage”)
http://sun.ap.teacup.com/samochanworld/1231.html
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 邪馬台国問題は論議が多岐に亘る。考古学者は文献学の細部には深入りしないし、文献学者も考古学の成果なるものを100%は採用しないだろう。邪馬台国九州論者は大和説を感覚的に受け入れないし、大和論者も九州説を信用しない。皆が自説を金城鉄壁と信じて疑わないところに、この問題が容易に解決しない厄介な複雑さの原因がある。

 纏向学研究センター主任研究員・橋本輝彦氏が、先日平群町中央公民館での「ヤマト王権誕生の地 纏向」という講演の冒頭で、“邪馬台国問題は結局、水掛け論になりますから”と言われた言葉に、事柄の本質がすべて言い尽くされているようだ。

 さて、Y氏の論文の本質は、『魏志倭人伝』や『記・紀』などの文献を論理的に分析することによって史実に迫ろう、というもので、文献学の範疇に入るだろう。ただし、著者は考古学者ではないながら、纏向遺跡の発掘成果についても非常によく勉強されていると思う。
 ただ、最初にちょっとだけ批判させて頂くと、本書のタイトルは少々長ったらしい。大阪日日新聞の記事のように『邪馬台国なぜ記紀にない』でもよいだろうし、『記・紀に抹消された邪馬台国』くらいでも十分わかるのではなかろうか?
 しかし、Y氏の考え・信念を忖度してこれを代弁すれば、タイトルでも本文でも、論旨を読者に正しく伝えるためには、これくらい厳密に・丁寧に表現する必要がある、ということなのであろう。
 このY氏の信念は、本文中に“隠蔽””隠蔽工作”“抹消”“抹殺”の語句が極度に頻出することによってもよく理解できるところである。

 まえおきは以上として、本題は少々込み入るので、このブログではなく、別稿としたい。
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【内容情報】(「BOOK」データベースより)
彼らは、その全貌を熟知していた。そこから解明される邪馬台国の真相と日本古代史の多彩な事象ー。

【目次】(「BOOK」データベースより)
序章 「邪馬台国」の謎を追う(未だに「邪馬台国」の謎が解けない不思議/「邪馬台国」の真実探求のための一方法論)
/第1章 記紀の編纂関係者は「邪馬台国」の全容を熟知していた(記紀に「邪馬台国」の記述の無い不思議/記紀に「邪馬台国」の記述が無い理由/記紀編纂における「邪馬台国」苦心の隠蔽工作/『日本書紀』に於ける「魏志倭人伝」の取り扱い/今日まで「卑弥呼」の墳墓遺跡が発見されない謎)

/第2章 「魏志倭人伝」による目撃証言と現場検証により「邪馬台国」の位置を検証する(卑弥呼時代の「邪馬台国」は大和に存在しなかった/北九州に実在した卑弥呼時代の邪馬台国/その他の邪馬台国想定地の問題点)

/第3章 邪馬台国東遷の実態(初めに結論ありきー大和王朝は東遷した邪馬台国の後裔/邪馬台国東遷の具体的経過を推理する/本論展開の中で解明された幾つかの謎)

/補章 邪馬台国東遷の事実から解明される古代史の謎
天照大神卑弥呼の関係/『古事記』と『日本書紀』二冊が編纂された謎/伊勢神宮創建の謎)

【著者情報】(「BOOK」データベースより)
山科威(ヤマシナタケシ)
1931年生まれ。大阪市出身。神戸大学経営学部卒業。日華油脂株式会社入社。1958年家業の有限会社宝石時計ヤマシナ入社、代表取締役社長に就任。
その間大阪市商店街総連盟副理事長他、地域の諸団体役員を歴任。現在、地域産業会副会長、近畿警察官生野地区友の会会長、歴史研究会本部会員、
東大阪市古代史研究会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

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 そもそも、何世紀にも亘る大論争のテーマである邪馬台国問題に、画期的な解決策がそう簡単に得られるとは思えないけれども、甲論乙駁、果てしない論争が繰り返される中から、ひょっとして前人がうっかり見落としていた新しい視点が発見されるかも知れない―それが古代史ファンに共通したひそかな夢であろう。