高麗橋里程元標

 東京における お江戸「日本橋」(にほんばし)にほぼ該当する道路の基点が、大阪では「日本橋」(ニッポンバシ)ではなく、朝鮮半島にゆかりのある「高麗橋」の東詰にあった、というのは中々興味深いところがある。古代から連綿と続く”なにわ”の歴史的伝統というべきか。

 梅田新道交差点の西北角(大阪駅前第3ビル東南角)にある大阪市道路元標の説明板によれば、「元標」の歴史は次の通りとなっている。
 「大阪市道路元標は 旧道路法大正8年)の制定により 大正11年中之島大阪市庁舎前に設置されたのがはじまりで それ以前は明治9年高麗橋東詰に建てられた里程元標が その役割を果たしていた。
 その後 新道路法(昭和27年)が制定され市内を通る国道の起終点が 梅田新道に定められたのに伴い 昭和28年道路元標もこの地に設置された。
 このたび 一般国道2号拡幅工事に際して道路元標を新しく築造したが黒御影石の銘は 昭和28年当時のものをそのまま用いた」
                  昭和57年4月
                         建設省近畿地方建設局
                         大  阪  市

 これによれば、高麗橋の里程元標の歴史は明治9年(1876)から大正8年(1919)までのわずか半世紀足らず(43年間)に過ぎないが、やはり何事によらず”元祖”というものの価値は重く大きいものだ。

 東成区中道四丁目の「八阪神社」の入口に確か「高麗橋から何里」の石標があったし、東大阪市かどこか(御厨辺り?)でもそんなものを見かけた記憶がある。
 ↓また「暗越奈良街道高麗橋から何キロメール」という現代製の道しるべも近年新たに設置されている。
http://blog.kansai.com/masan/303
 今度一度、道標の一覧を載せた紀要で調べて「高麗橋から何里」の石標を拾い出して見るのも面白いかも知れない。


 ※高麗橋は、地下鉄堺筋線「北浜」駅、または道修町の神農さんから東へ歩いて5分の所にある。そしてさらに東へ5分の所に、神功皇后鎮座石(坐摩神社行宮)がある。