入江聖奈選手カエルの神様参拝
阪俗研便り 第378号(通号500号) 会友のみなさまに
2022年9月8日配信
お早うございます。昼休みをはさみましたもので、こんにちわ。
田野 登です。
(2)新しい会友の紹介
越知雅子さん「まこりんまこりん」さん
小学校に上がる前に豊中市庄内というところに住んでいました。
家庭の事情でですね^ - ^
結婚して少し寝屋川市に住んで、八幡市の男山団地におりました。
子どもが三人に増えた時に、枚方市に引越して今に至ります。
夫の会社が生駒なので、いつかは生駒に住むかな?と思い、
森田さんの生駒のセミナーに参加してみました。
歴史は全然興味がなかったのですが、全然違うよ、と、
あるYouTuberにも教えてもらいちょうど少しずつ、
歴史の面白さを感じるようになっていました。
そこで十数年前に狭山池を訪れた時に、行基さんのことを知り、
生駒にお墓があるよということは知っていたのですが
昨年セミナーの生徒さん達と行くことになったり、
スピリチュアルセミナーで陰陽師の方のお話を聴いてパズルのように
繋がってきて益々面白くなってきました。
以下、田野による書き込み。300字以内でリライトをお願いしたのですが・・・・・。
読点はボクが打ちました。なんとも、いろんな所にお住みになられたことでしょう。
「スピリチュアルセミナー」で足代健二郎会友と知り合われたのでしょう。
彼からのご紹介です。生駒での「スピリチュアルセミナー」??
陰陽師?? ボクは子供の頃から加持祈?やお祓いを受けてきたもので、
「免疫」を持っています。敬虔な仏教徒でないまでも「先祖祀り」は、自分なりにしてます。神霊世界には興味があります。家にポスティングされる宗教団体のチラシは
放らず、資料として取っています。またいずれ、お目にかかりましょう。
越知雅子さん「まこりんまこりん」さんのブログ ↓ここにアクセス
日々の発見を発信しておられます。覗いてあげてくださいませ。
(3)会友からの便り
①足代健二郎会友からの「摂津河内余話(112)
<入江聖奈選手とカエル・グッズ>
9月2日の新聞に
「入江選手カエルの神様参拝~松江・美保神社 大学院合格を祈る~」、
翌3日「入江選手が大学院合格」の記事が掲載された。
今回入江聖奈選手が参拝した神社は、
松江市美保関町にある美保神社の境外末社「久具谷社(くぐたにしゃ)」で、
出雲風土記に出てくるヒキガエルを神格化した「タニグクの命」を祀っている。
記事によれば、「小学2年から続けたボクシングは11月の全日本選手権で区切りをつけ、 来春から大好きなカエルの研究にまい進する」そうだ。
入江選手のカエル好きは、前から新聞記事で見て知っていた。
また、昨年8月、野球評論家・張本勲氏の発言(女子ボクシングへの侮辱発言)に
対する、穏やかな神対応も非常に好感が持てた。
私は入江選手がなぜか「大・々」好きで、その言動に非常に興味がある。
別に、その影響でもないと思うが、私もそこそこカエルが好きだ。
以前、北区中崎町付近(浮田2)にあるカエル・グッズの店「ひより」で、
かえる尽くしシリーズ『お願いっ!かえる様~縁起物かえるの世界~』という本、
その他を購入して愛蔵している。
私が名刺をカエルのパンチで抜いているのも「ひより」で教わった。
入江選手は、蛙の生物学的研究だけではなく、カエル・グッズも好きとのことだが、
大阪の「ひより」のことをご存じかどうか、
少々に気になるところである。
https://heisai.hatenadiary.org/entry/2022/09/08/001626
↓ 先週の 余話(111)関連のブログ
https://heisai.hatenadiary.org/entry/2022/09/05/215840
以下、田野による書き込み。足代健二郎会友の頭は若い。
毎回、繰り出すパンチに時にはスウェイバックし、
いつもスルーして、打ちのめされないように気をつけています。
ボクも蛙は大好きで、鷺洲の長屋の前栽に蛙を何匹も飼っていました。
今は道端の焼き物の蛙を何気なく見過ごしています。
巳(ミィ)さん信仰があるようにカエルさん信仰もあるのでしょうか?
カエル・グッズにお守りもありますか?
この辺のところで渡辺麻矢会友に登場願います。
②渡辺麻矢会友の「私が見た生駒の"トミノナガスネヒコ"」1/5
先日、稲蔵神社の神主・森田一彦氏主催の、
富雄ナガスネヒコゆかりの地巡りに同行しました。
きっかけは、偶々調べ物でニギハヤヒやナガスネヒコの名前を知り、
地元生駒でそれなりに話題に上ったこともあって、これは縁浅からぬと、
心に引っかかり続けていたある日のことです。
体が求めていたかのように手に取り、お話会に参加しました。
そこから繋がっての同道です。
余所者の私が生駒の神々を、もっと深く知ることができるチャンスの到来でした。
以下、田野による書き込み。
稲蔵神社懐かしいですね。小明「こあけ」という地名を思い出します。
小学校高学年ですので昭和30年代の後半、近鉄生駒から北東に行って阪奈道路かの高架下を渡って・・・・。「余所者」の目は大事です。