2022-09-05 鳥見の里探訪 「幾世屋セミナー」の仲間たち(稲蔵神社・森田一彦神主。神田・牧野・越知・鏑木の各氏)と トミノナガスネヒコゆかり 鳥見の里を探訪。(添御縣坐神社総代・上田全宏氏事務所~同神社および根聖院・三碓地名由来碑~大倭神宮~大倭教本部~富雄丸山古墳(2022.8.29)***********************************************************************※※ 大兄 あじろ 拝 矢追日聖の著書2冊、返却が遅くなって済みません。 阪俗研便りにも書いた通り、麻矢さんを含む親しい仲間たちと 先日、大倭神宮にも行きましたが、不可思議な神社です。 あの本も、ホラ話のような不思議な本でした。しかし現実に、あの地域に 神社・病院・福祉施設・会社などが集まっていて、大倭町という一つのエリア を形成しているのですから、宗教の力とは面白いものです。 私にはとても興味深い場所です。 御礼まで・・・・・草々不一。 ************************************* 阪俗研便り 第377号(通号499号) 会友のみなさまに2022年9月1日配信お早うございます。お昼休みを挟みまして、こんにちわ。田野 登です。 (3)会友からの便り①足代健二郎会友からの「摂津河内余話(111) <ナガスネヒコ伝承の根強い人気> 奈良県生駒市にある稲蔵神社の森田一彦というユニークな神主さんの古代史談話会に参加している。生駒駅前にある幾世屋という和菓子屋さんの店の奥で 数人の参加申し込み者を集めて行われる「幾世屋セミナー」というごく小規模の会である。 森田氏が『生駒の天孫 ニギハヤヒと稲倉神社 ~日本の国作りは生駒からはじまった!!~』という小冊子を発刊されたことが 発端となってこのセミナーがはじまったそうである。 話は三回で一応完結するので、参加者は順次入れ替わるが、日程等が厳密ではないので、私自身、いつ、どの回に参加したのか曖昧だが、そこで何人かの人たちと親しくなった。 おみくじ研究家の鏑木麻矢さんもその一人である。 先日、森田神主さんの引率で、氏の車に同乗させてもらって、その親しい人達らと、生駒の鳥見(トミ)地域をあちこち探訪した。 記紀(古事記・日本書紀)によれば、九州の日向から攻め上ってきた神武天皇軍は、河内から生駒山系を越えて大和へ入ろうとして、東大阪市の日下(孔舎衙坂)で土豪のナガスネヒコに迎撃され敗退したという。そのあと、熊野越えで大和に入った神武軍は金色のトビ=金鵄の靈光に助けられて賊軍を撃破することができた。 その場所を鵄の邑といい、後に鳥見(→奈良市鳥見町・富雄・登美ケ丘)などの地名のもとになっている。 森田氏の母方の実家は近鉄「白庭台」駅の近く”白谷村”で、 ナガスネヒコの子孫という伝承があるそうだ。 戦前、皇国史観で抑圧されてきた反動か、神社の祭神が”トミノナガスネヒコ”である―等の言説が、奈良市鳥見地域や生駒西麓の石切などで活発化している感がある。 以下、田野による書き込み。生駒市にある稲蔵神社とは懐かしい。磐座「イワクラ」が鎮座する神社ですね。昭和30年代、鷺洲の稲荷社の神主・三好さんが稲蔵さんの左手前の山裾に稲荷社を建てて信仰の場としていました。その子息は國學院大学に進学したと自慢してらした。森田一彦神主さんは、面識がおありでしょうか?本題からそれましたが、稲蔵さんの祭神が”トミノナガスネヒコ”とは?ナチュリズムに基づく磐座信仰が、時に稲荷信仰を招致し、今また記紀神話に登場する人格神を招くとは信仰を動態として捉えるとおもしろそうですね。