松瀬青々ゆかりの地・海老江探訪(2020.12.18.)


f:id:heisai:20201218131346j:plain

松瀬青々旧居

f:id:heisai:20201218131257j:plain

旧跡碑と近所の酒店看板

f:id:heisai:20201218131248j:plain

旧跡碑と解説板

f:id:heisai:20201220225839j:plain

解説文

f:id:heisai:20201218131331j:plain

旧跡碑の側面「明治丗九年生地大川町ヨリ移転 大正十年天王寺一本松ニ移ル」

f:id:heisai:20201218132240j:plain

近くの「外野酒店」 店内の女優額。棚のふぐのひれ酒を楽しむ

 

「松瀬青々建碑のこと(額田天方)」 によれば、

海老江には「私の妻の育った羽間家があり、青々旧宅の家主の楯本さん
も深い理解を示されて・・・」と述べられているが、「天王寺一本松は理
解して頂けなくてあきらめた」とある。青々は海老江のあと、天王寺一本
松に移り、そこで七年間を過ごしている。その場所は、今の阿倍野区「松
崎町」の一部に該当するようで、現町名は、長者ヶ崎と一本松との合成地
名だそうだ。「松崎町」は庚申街道が南北に走り、安倍寺廃寺跡のある良
い所だが、「一本松」という味のある旧地名と、青々旧宅跡はどの辺りに
なるのだろう? 地主の無理解のために碑が建てられなかったのは、二重
の意味で誠に残念である。

 

f:id:heisai:20201229165653j:plain

大正七年四月十日発行・大阪朝日新聞附録「大阪交通地図」。天王寺駅のすぐ南側に「長者ヶ崎」の表記が見えます。松瀬青々が大正十年に海老江から移り住んだ「一本松」は、もう少し南側か?。