2020-12-20 松瀬青々ゆかりの地・海老江探訪(2020.12.18.) 松瀬青々旧居 旧跡碑と近所の酒店看板 旧跡碑と解説板 解説文 旧跡碑の側面「明治丗九年生地大川町ヨリ移転 大正十年天王寺一本松ニ移ル」 近くの「外野酒店」 店内の女優額。棚のふぐのひれ酒を楽しむ 「松瀬青々建碑のこと(額田天方)」 によれば、 海老江には「私の妻の育った羽間家があり、青々旧宅の家主の楯本さんも深い理解を示されて・・・」と述べられているが、「天王寺一本松は理解して頂けなくてあきらめた」とある。青々は海老江のあと、天王寺一本松に移り、そこで七年間を過ごしている。その場所は、今の阿倍野区「松崎町」の一部に該当するようで、現町名は、長者ヶ崎と一本松との合成地名だそうだ。「松崎町」は庚申街道が南北に走り、安倍寺廃寺跡のある良い所だが、「一本松」という味のある旧地名と、青々旧宅跡はどの辺りになるのだろう? 地主の無理解のために碑が建てられなかったのは、二重の意味で誠に残念である。 大正七年四月十日発行・大阪朝日新聞附録「大阪交通地図」。天王寺駅のすぐ南側に「長者ヶ崎」の表記が見えます。松瀬青々が大正十年に海老江から移り住んだ「一本松」は、もう少し南側か?。