ひるめ越え・明神山(続)

[歴史]ひるめ越え・明神山(続)

 国分側からの踏破は断念して、畠田(はたけだ)・明神4丁目側からチャレンジすることにした。藤井の少し先でR25から分岐するR202に入り、「大田口」バス停の手前に、

↑西面【右 神武天皇、左 天理地場道、明治廿九年□月建之】、東面【すぐ大阪 さかい道、吉村榮吉】の珍しい道標がある。神武天皇を祀る橿原神宮の創建は明治22年であるから、その7年後に建てられた道標ということになろう。
※この吉村家には、事情を聴くために以前ジイちゃんと一緒に訪問した記憶がある。

↑送迎(ひるめ)の集落の手前にある神社跡のような感じの小さな境内地。


↑明神4丁目バス停前の「スーパー ヤオヒコ」から少し西側に明神山登山口を示す大きな赤い鳥居があり、それをくぐって、住宅街の坂道を登り切ると登山口ゲートに着く。

↑この、「山頂まで1000m」の標識は、登山口ゲートから山頂までの全コースの丁度中ほど位だろか???

↑「明神山山頂まで460m」の標識の手前に、「右 大坂 さかい」と刻んだ背の低い道標がある。この分岐点が「送迎(ひるめ)峠」らしく、右手に少し降って行く山道があるが、草ぼうぼうで、予備知識がなければ見過ごすこと必定である。
↑↓この道標(峠)は地図★印(写真2)の地点にある。
   ※★印(写真1)の道標はきのうのブログに掲載した。


 「この山道は、今はとおることができませんが、江戸時代は国分(大阪府柏原市)までゆくことができました。国分から明神山をとおって当麻街道との交差点まで行くこの道は、「送迎道(ひるめみち)」(送迎越えとも)よばれていました。」 (『やさしく読める王寺町の歴史』岡島永昌著・2015年・王寺町発行)





↑山頂の水神社に着いたころ陽がとっぷりと暮れてしまって、アベノハルカスが確認できただけで、ゆっくりと360度の眺望を堪能することはできなかった。
 真っ暗な山道を降る途中、草むらからガサゴソとかなり大きな音がしたので大急ぎで下山した。多分イノシシだったと思う。