<菅>で<網代>は作れるか?

[雑記]<菅>で<網代>は作れるか?

 富山県で菅田を営み、その菅で笠などの菅製品を作っておられる岸野さんに、
―-菅で網代を作る場合がありますか―とお聞きしてみた。すると、
「絶対作れない」
―-それはどうしてでしょう?―
「だって網代はだいたい竹(薄く削った竹)などで編むものであって、菅のような柔らかいものでは網代は作れない。菅笠は編むのではなくて糸と針とで縫って作るものだ」

 この答えを聞いて、愚鈍な私もようやく合点が行った。
 なぜそんなことを問題にするのかという、その理由を以下に述べる。
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 菅笠作りで有名な摂津国東生郡深江村。その名産品を<深江笠>という。
 そしてその深江村の南隣に河内国渋川郡足代村があり、この村も深江同様 菅笠の産地である。その名産品を<足代笠>といったそうだ。
 この<足代笠>という名前が曲者である。

 『河内志』(渋川郡)に【土産】笠 以莎草造・・・以足代号。
つまり、産地・足代の名を採って<足代笠>と呼んだというのである。

 ところが、『河内名所図会』(東足代村・都留弥神社の項)になると、
「当村の名産 籃笠(ルビ=あじろかさ)世に名高し。莎草(ルビ=すげ)をもってこれを作る。」
としるす。
 <籃>は竹で作ったかご の意であろうから、上の文意は、
「当村の名産品は、本来竹で作る<網代笠>を菅で作ったもの」
ということにならないだろうか?。実にややこしいことを書いたものである。

 そのためか、平凡社の『大阪府の地名Ⅰ』西足代村の項(P649)に、上掲『河内志』の文を引いた上で、
「当郡は網代とよばれる菅笠の産地で・・・」と、これまたややこしいことを書いている。河内志には<足代>と書いているのに勝手に<網代>と書き換えているのである。
 これでは<足代笠>=<網代笠>ということになってしまうではないか。

 <網代笠>の意味は、広辞苑大辞林によると、
「竹の網代で作った笠」「竹・経木などを網代に編んで作った笠」で、
その<網代>とは、「竹・葦または檜などを薄く削ったものを斜めまたは縦横に編んだもの(広辞苑)」であって、産地の名を採っただけの、菅笠である<足代笠>とは全く違うものだ。菅笠は【笠縫】という言葉が如実に示しているように、針と糸で縫って作るものである。

 大正十一年の『中河史蹟写真帖』に、
(第三十一図)莎草細工 布施村大字東足代村 と題して、塩川正三氏の製作にかかる貿易品 の写真が掲載されている。そしてその製品の山に掛けられた垂れ幕に、
「河内名所図会所載 河内足代名産 莎草(ルビ=すげ)製品 東足代 塩川工場」
と麗々しく大書されている。

 これを見て私はこう思った。東足代村や西足代村では深江村の<深江笠>に対抗して<足代笠>ブランドを盛んに喧伝したのではなかろうか。そのとき図らずも普通名詞である<網代笠>と偶然に同音であることが営業上プラスに働いたかも知れない―と。

※ 東足代の塩川正三氏 とは多分「塩爺」の先代ではなかろうか?。
※ 『布施市史』第1巻第4章「中世の布施地方」P421 に、
「井上正雄氏の『大阪府全志』によれば、「莎草ヲ以テ造レル笠ヲ称シテ足代トイヘリ」と述べ、足代庄は網代笠の名産地とされているが、網代とは編み方を言うのであって、足代庄と網代笠を結びつけることはいささか安易すぎるであろう。
と述べている。同感である。
※ 笠の分類については、このサイトが参考になる。→http://dearbooks.cafe.coocan.jp/mmbn/wafuku049.html
これによれば、網代笠は「組笠(くみがさ)」であり、菅笠は「縫笠(ぬいがさ)」の部類に入る。