大田南八幡宮の納経鉄塔

[神仏]大田南八幡宮の納経鉄塔

 六十六部廻国行者が巡拝の際、法華経を収めるための、いわば郵便ポストのようなものが、石見国島根県)大田(おおだ)市の「大田南八幡宮」に遺っている、ということを大阪城天守閣学芸員北川央先生から教わったのは数年前のことと記憶する。 
 大田市は昨年だったか、石見銀山世界遺産になったので、この際市の名前を「石見銀山市」にしよう、などとはしゃいでいるのは分かるとしても、こんな珍しい「大田南八幡宮」の文化財のことはほとんど無視、という姿勢は全くどうかと思う。(ウェブ上でこの鉄塔のことに触れているのは、民間の簡単なサイトが一件、千葉県立中央博物館などのサイトが3件(同博物館研究報告-人文科学- 第4巻第2号「行人田経塚および大田南八幡宮鉄塔納入経筒について(木村修)」という論文の存在だけが分かる)あるのみ。大田市の公式サイトではない) 
 しかしそれでも市の教育委員会にお願いしたところ、これに関する資料を郵送してくれた。一応『大田市史』『大田市文化財』などの文献には載せられているわけである。(写真↓は『大田市史』より)

 これをちょっとメモしておこう。
大田南八幡宮の鉄塔と経筒
 「石見名跡考」などによると六十六部(行者)が全国をまわって大乗妙典を納めた際の納経塔と説明されている。鉄塔は郵便ポストのような形をしており、笠、塔身、基台にわかれ塔身に差入れ口があって、そこから経文を納める。鉄塔の高さは一八四・二㌢。
 鉄塔は、木造建 高さ二・七㍍の六角堂に納まっている。棟札から安政三年(1856)の再建と判明。
 鉄塔に納める経文は銅製の経筒に入れてある。経筒は鉄塔の基台となっている石の円筒の中に保存され、まわりは小石で囲んであった(=何の「まわり」か文意不明)。
 経筒はおよそ長さ十二㌢、直径五㌢程度。一六八個が発見され、永正〜天文年間のものが多い。
 納経鉄塔が遺っているのは全国でも数えるほどしかない。昭和39年に鉄塔と経蔵、続いて、銅製経筒一六八口が県指定文化財となった。
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 なお、大田市大田には北八幡宮(喜多八幡宮)と南八幡宮(鶴岡南八幡宮ともいう)の二社があり、ともに旧社格は郷社。
 大田両八幡宮の祭礼風流が【県の無形民俗文化財】(H4.4.28指定)となっている。