近時片々(2)

heisai2006-09-30

9・23(土・祭) 「血と骨の世界」3〜4htm作る。
9・24(日) 大阪護国神社慰霊祭。以前お世話になった高安の阪本さんと偶然、久しぶりにお目にかかる。おん年八十一歳になられたとか。お元気だが最近目が少しご不自由の由。
  「猪飼野界隈」のトップページ(コリアタウン共生まつりの写真・目次・[D]へのリンク)作る。
9・25(月) 先生からドリームウェーバーの再指導。吉村さんから「大成通1丁目」市電停留所の映像(DVD)拝借。「血と骨の世界」5htm作る。
9・26(火) アリラン食堂の前で者奎通氏とバッタリ出会う。11・5の予定を話す。kouminkanのサブドメインを登録して「猪飼野公民館」のトップページを作り、「猪飼野ドットコム」のトップページからリンク。
9・27(水) 日南第4週。終了後、徳**寺の大黒さんと少談(『松下幸之助起業の地記念誌』などを、誓得寺さんの分共届ける)。市史のM氏と電話打ち合わせの上、歴博**氏と面接。玉造稲荷S宮司と面接。大阪城天守閣**先生と面接。
 『第5回なにわ歴史シンポジウム―テーマ「四天王寺上町台地をめぐって」』(エリーニ・ユネスコ協会)という素晴らしい内容のレジュメを頂戴した。「図2.大坂本願寺寺内町と法安寺の所在地に関する所説」によると、これには5つも6つも説があるらしい。早く明らかになって欲しいものだ。
9・28(木) 奥野さんにDVDの複製をお願いするついでに、「天神さんの古本まつり」の会場・大阪天満宮で待ち合わす。昭和十五年三月の『鶴橋第四尋常小学校卒業記念写真帖』を百円コーナーで手に入れた。地元の、わが母校でもある現・御幸森小学校の卒業アルバムである。同校はS16.4.1から「御幸森国民学校」となったから、尋常小最後より一年前のアルバムということになる。近所の知り合いの人の顔を三つも発見した。傷んではいるが、掘り出し物だった。奥野さんと自転車で熊野街道を通って帰ることにした。上汐三丁目で生玉馬場先と交わる。生国魂神社の方に向かって少し進むと左手に「馬場先三体地蔵」という小さなお堂がある。これは今回奥野さんに教わるまで全然知らなかった。「馬場先」の名前を保存してくれているのは嬉しい限り。電話で予め約束していたN権禰宜さんと面接。応接室に通して頂き、この上なく親切な対応ぶりで、他の神社で往々にして見受けるような尊大な感じは露ほどもない。現・宮司さんのお人柄や神明奉仕の姿勢が職員の人たち全員に反映しているのでは、と拝察した。『第五十回記念 大阪薪能』の素晴らしい記念誌を頂戴する。なにわの”八十島祭”の特集である。
 鶴橋から地下鉄で南巽。巽神社で年数回行なわれている「横野万葉会」の講演を聴きに行った。”万葉集の息長川は、現・今川である”と主張されている三津井さんの講演であった。
9・29(金) 栗岡さん・高村さんと電談。栗岡さんにファックス10枚送付。北海道の栗岡さんへの依頼仲介をお願いする。
9・30(土) 玉造さんより文書OKとの電あり。tanboukaiのサブドメイン登録したに拘わらず、うまく表示されず。 またしばらく作業頓挫。ホームページ作成は実に難しい。「猪飼野公民館」のバナー作成は成功。