百舌鳥・古市古墳群の新聞記事

[歴史]百舌鳥・古市古墳群の新聞記事
世界文化遺産の国内候補に決まった大阪府の百舌鳥・古市古墳群
今朝の大阪日日新聞にすばらしい航空写真と解説文とが掲載された。

大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長の話。
▽王権の本拠地
◎3C中頃〜 大王墓は奈良盆地
◎4C末〜  百舌鳥・古市に移る。
 ・遊牧騎馬民族の移動の影響で、4C後半、朝鮮半島では高句麗が南下し、新羅百済を圧迫。
 ・百済は、鉄資源を半島に依存していた倭と組んで高句麗に対抗。
 ・倭の政権は、大和・河内・和泉「3地域の連合政権」。当初は卑弥呼に代表されるような呪術性の強い大和が盟主であったが、緊迫した東アジアの国際情勢に対処できず、瀬戸内の水運を握る河内・和泉に盟主権が移り、そのそれぞれの本拠地に「二つの王家が交互に」巨大古墳を築いた。
◎百舌鳥では5C半ばの反正陵古墳が最後。古市では6C前半に安閑陵古墳。
 ・「二つの王家が統合され、やがて古市→磯長(太子町)が王家の墓域となった」
▽文明化の過程を示す
 この時期、漢字・馬・須惠器・機織りなど様々な先進文化が半島からもたらされた。百舌鳥・古市の両古墳群は倭政権内の盟主権の変遷だけではなく、倭国の文明化の過程を物語っており、世界文化遺産にふさわしい。