池田市の二つの神社のメモ
[神社]池田市の二つの神社のメモ
【呉服神社】
・呉服媛(くれはとりひめ)=大阪府池田市室町=「下の宮」
【伊居太神社】
・穴織媛(あやはとりひめ)=大阪府池田市綾羽=「上の宮」
=つまり、妹の綾羽ちゃんの方が「上の宮」
※穴=漢=綾=穢=濊=安羅か。
・ 池田市内には、この機織伝承ゆかりの旧跡が各所に残されている。
2人の織姫を乗せた船が着いた所が<唐船が淵>
(新町〜木部町、猪名川のカーブした辺り)、
糸を染めた井戸が<染殿井>(満寿美町)、
絹を干したのが<絹掛の松> (畑)、
機を織ったのところが<星の宮>(建石町)、
2人が葬られたとされる墓が<梅室・姫室>(槻木町〜室町あたり)、
そして呉織が祀られたのが<呉服神社>(室町)、
漢織が祀られたのが<伊居太神社>(綾羽)とされている。
池田の市章はこの伝説を元にしており、外側の井桁は<染殿井>を、
内側の糸巻きは織り姫たちが織物に使った糸巻きを表している、とか。
【日本書紀】によれば、(ページ数は「神史」)
応神14年
・・・百済王が縫衣工の女性を日本に献上 P388
同 15年・・・百済王が阿直岐(あちき)を派遣
同 16年・・・王仁が来朝 P389
同 20年・・・阿知使主・都加使主が来朝 P390
同 37年・・・天皇が阿知・都加を呉に派遣 P394
●同 41年・・・阿知・都加が織姫4人を連れて帰国 P395
●雄略14年・・・阿知・都加ではない別の人(=むさの村主あお等)
が織姫4人を連れて帰国。 P471
となっていて、二つの●の項目は内容が似すぎている。
大昔のことなので、記録が混乱したのだろう。
阿直岐(あちき)と阿知使主(あちのおみ)も同一人か、
と言われているようだし・・・・・。
【神奈備】氏の調べ・まとめを略記すれば、
●阿知使主に伴われて来朝した4人(応神41年)
兄媛 → 胸形大神に奉る 宗像大社摂社縫殿神社「呉織 穴織」
弟媛
呉織 阿波国 阿波郡の山崎忌部神社「衣織比女命」
穴織 → 3人の子孫は呉衣縫・蚊屋衣縫
3人は武庫に到着。応神崩御により仁徳帝に献じられる。
●身狭村主青等に伴われて来朝した4人(雄略14年)
漢織 伊勢国安芸郡の久留真神社「大己貴尊 (配祀)須世理姫命 漢織姫命」
呉織 → 2人の子孫は飛鳥衣縫部・伊勢衣縫
衣縫兄媛 → 大三輪神に奉る
衣縫弟媛 → 漢衣縫部となす
となるようだ。
※もしこのニ項が同一の事件だとすれば、
蚊屋(伽耶)=漢ということにもなろう。
因みに、「磯歯津の路」「呉坂」の記述はこの【雄略14年紀】である。
即ち4人の織姫と同行して来て、住吉の津で下船した呉の国の使者は、この時に開通した
「呉坂」=住吉大社付近の東方向への登り坂
「磯歯津の路」=現・長居公園通り
を通過して檜隈の呉原(=現・栗原)に安置されたわけであるから、檜隈の栗原に鎮座する式内社【呉津孫神社】の祭神はこの「呉の国の使者」ということになろう。↓
http://kamnavi.jp/as/asuka/kuretu.htm
※「呉の国」が中国の江南地域を指すのか、高句麗(くれ)を指すのかは、研究の余地がある。