2021-02-02 石切霊園内 生玉十坊桜本坊(圓正寺)墓地 石切霊園内の一角を「生玉十坊桜本坊(を合併した圓正寺)」の墓地が占めているのが目に付いた。しかも、その住職が密教関係の著書の多い【八田幸雄】という人だということを知り、非常に興味が湧いた。石切霊園と圓正寺との間にはどのような関係があるのだろう?<八田幸雄の略歴>1927年 大阪生まれ。関西学院大学文学部哲学科卒。文学修士。 関西学院大学講師、朝日カルチャーセンター講師などをつとめ る。日本宗教学会、日本密教学会、日本仏教学会に所属し論文を多数執筆。元圓正寺住職。 編著書に『真言事典』『主要密教経軌解説』(平河出版社)、 『現代密教講座 第4巻』(共著、大東出版社)、『現代語訳 真言秘密行法』『空海の思想』(東方出版)ほか多数。 著書の中の1冊、『お寺とは何か~円正寺を移転してわかったこと~』に霊園の一角を購入した経緯が詳述されていて、大変面白かった。 円正寺は、もと松屋町筋に面した下寺町にあったが、松屋町筋の拡幅や、戦災で堂宇が灰燼に帰したことなどの理由で、昭和四十八年頃、墓地は石切霊園と一部王寺霊園に移し、寺院は生駒市北新町に移転したとのことである。 https://loco.yahoo.co.jp/place/g-KZ9fsYBWv3I/?utm_source=dd_spot&sc_e=sydd_spt_slo_p_ttl&lsbe=1
2021-02-02 松崎町再訪 (21.1.31) ⑤一本松の旧址付近(小さいマンションと広い駐車場の境界空地の現況) ⑥菅楯彦旧宅(=通路の奥)付近 ⑦旧宅側からハルカスを望む ⑧菅楯彦の縁者が数年前まで経営していた喫茶・すずめ ⑨すずめ付近、白長龍王の小祠
2021-02-01 「天王寺一本松」界隈(阿倍野区・松崎町) ①大正10年阪南郊外精図(難波りんご氏提供) ②昭和三年大阪防衛部隊配備要図(閑納眞一氏提供) ③菅楯彦名記入図 ④内田稲葉筆・菅楯彦旧宅周辺図(関西大学大阪都市遺産研究センター蔵) ⑤一本松界隈図 ⑥菅真人宅付近住宅地図
2021-01-27 「天王寺一本松」 「阿倍野区松崎町三丁目6―50」「松長大明神」=阿部寺(あべでら)跡推定地= 天王寺一本松を示すMAP 大正十年天王寺一本松ニ移ル (海老江・松瀬青々旧跡碑 側面)