天王寺区六万体町・吉祥寺「朝鮮石(チョウセンセキ)の界牆(カイショウ)」



【摂津河内余話PART(92)】<吉祥寺~続々編~>

 谷町筋沿い・六万体町にある吉祥寺には、赤穂義士の他にもう一つユニークな由緒がある。

 それは、「朝鮮石の界牆(カイショウ」というもので、「牆」は「垣」のむつかしい字体で、要するに朝鮮から持ってきた巨石を寺の垣根としたものである。そのいわれは、文化14年(1817)寺の垣根が朽損し浄財を募って修復することになった時に、古くからの檀家である岩佐宣孟という人が求めに応じて熱心に尽力し、また岩佐の友人で対馬の人、春田・八坂(はちさか)の二人は、朝鮮から巨石を運び込み、それにその国の学者・金明旭の銘文(「仏光如日・・・清浄照人」)を添えて贈ってきた。喜んだ岩佐はそれに次の歌を書き添えて石に刻んだ。

「法(のり)のため深き心の信(まこと)には高麗(こま)の岩根もなびきよりけり」・・・と。

 現在、その巨石は谷町筋の歩道に面した山門の左右の壁にはめこまれていて、戦災に遭ったと言われながら、この朝鮮石は無事な姿をとどめている。実に貴重な遺物ではなかろうか。文字の読み取りは少々面倒ではあるが、根気よく観察すれば読めないことはないだろう。写真では分かりにくいが、一応、ブログに載せておく。拓本クラブの人に依頼して採拓してもらおうかとも考えている。