「元禄花の兄弟・赤垣源蔵」を義士の寺・吉祥寺に訪ねる
↓ 元禄花の兄弟 赤垣源蔵 島津亜矢
【摂津河内余話PART(91)】<吉祥寺~続編~>
大阪名所である義士の寺・吉祥寺は四天王寺西門から800メートル北側、天王寺区六万体町にある。
なぜ、大阪に赤穂義士ゆかりの寺があるのか? それは元禄時代、当寺の住職が赤穂から迎えられており、この人が浅野の殿様・長矩と親しく、長矩は参勤交代の往復などにしばしば立ち寄り、江戸の「萬松山」泉岳寺に倣って「万松山」の山号を与えている。和尚がその山号の揮毫を願ったところ、長矩は傍らの経机にじかに墨書したので寺では机の脚を切り取って山門に掲げ、後に寺宝としていた。「筆力雄勁、その人を偲ばしむ」と『大阪府全志』に書き残されているが、惜しくも戦災で焼失した。
境内に元禄16年に建てられた、長矩・大石父子の墓碑を囲む全義士の墓碑群がある。幕末の嘉永年間に義士の木像が造られ、遺墨・遺品なども残されていたがこれらも戦災で失われた。
しかし、義士討ち入り(1702壬午年)の三百年祭にあたり平成十四年(2002壬午年)、錦絵の絵柄を石彫りにした石像が群立していて壮観である。
なお、わたくし事で恐縮だが、私の生年1942年が討ち入り後240年目の壬午年に当たる偶然(つまり三百年祭の年が私の還暦年)を面白く感じている。
また、先週の余話(90)で拙ブログのURLを載せたところ、東野利明会友による「島津亜矢さんの歌を十二分に楽しみました。」という嬉しいコメント書き込みを頂きました。東野会友に深謝します。
(阪俗研便り 第357号(田野 登氏主宰・配信)2022年4月14日 に掲載)