「師 菅楯彦(二)-阿倍野松崎町ー」西浦香橋(『大阪春秋第49号』昭和62年3月発行)

「奥様は、大正十三年二月二十五日朝、薬石効なく遂にみまかりました。享年三十八、佳人薄命とは正にこのことでしょう。・・・・・廿七日の葬儀には参列者五百人を超え、庚申街道は俥で埋まりました。宗右衛門町の女将、芸妓連中は数も知らず、その喪服姿は見事なものでした。雅亮会が奏楽を奉仕されその哀調がさらに参列者の胸をえぐるのでした。式後、葬列を調えて阿部野火葬場に向いました。棺を白木の輿に載せ、私ども内弟子が白麻の白丁を着けて担ぎました。道楽の調べに「あの優しい奥様が」と途中涙が止りませんでした。火葬場の竈に棺を納め扉を閉めた時の芸妓衆の「姐さん姐さん」の号泣が今も耳に残っています。私の生涯であんなに悲しくて美しい葬儀を知りません。」(西浦香橋 記)

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八千代のブロマイド、直筆の葉書

(『浪花慕情ー菅楯彦とその世界ー』大阪商業大学商業史博物館・2014)

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