伝・秦河勝墓(寝屋川市 川勝町)の五輪塔
<寝屋川に秦氏の痕跡を探る>2020.9.17.に参加
仏教的な先祖供養の目的で建てられたものではない ということ なのであろう。
地輪に刻まれた銘文によれば、元の五輪塔は秀吉の命により持ち去られたため、慶安二年(1649)再建されたもの―だという。
それと、もう一つの特徴は、”擬宝珠”の形状が普通である「空輪」の頭頂部が、サンタさんの帽子のように長くとんがっていることである。
この点は、東大阪市西堤村 大通寺墓地にある石津家の五輪塔と共通している。
本ブログ、2020-06-07 <八尾市神立・垣内墓地の五輪塔との比較>
https://heisai.hatenadiary.org/entry/2020/09/07/230818
をご参照頂ければ幸いである。
↑ 地輪の四面には、河勝の事績や五輪塔建立の経緯が四百余字で刻まれている―という。