富岡鉄斎の式内社復興支援

[神社]富岡鉄斎式内社復興支援

↑ 飛鳥の考古学図録(6) 『飛鳥の神社〜神々がやどる社〜』
(明日香村教育委員会文化財課・2008年3月発行・定価送料共¥730)

加夜奈留美命神社(明日香村大字栢森(かやのもり))
・明治初年、富岡鉄斎石上神宮宮司※)によって小字・堂の後にあった「葛神」(瀧本神社)の小祠を「式内社加夜奈留美命神社」として復興された。
現在の社殿は昭和八年以降に再建されたものである。
※『富岡鉄斎』(小高根太郎・1985新装版・吉川弘文館人物叢書)所載の<富岡鉄斎略年譜>によれば、「明治十一年、加夜奈留美命神社の復興を計る」とあり、その時点では、鉄斎は石上神宮宮司(=厳密にいうと石上神社少宮司)ではなく、堺市の「大鳥神社宮司」であった。
※鉄斎筆『公私事歴録』によると、「明治11年、大和高市郡栢ノ森村御鎮座 加夜奈留美命神社、右頽廃の上、意外の小祠につき、書付を認め、その由緒を述し県へ出す。幷びに金五円を奉納。村人・区長、社を新築の挙と成」「金若干幷びに御霊代の神鏡幷びに唐櫃を奉納」と記す。


気吹雷(いぶきいかずち)社跡
式内名神大社・気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社跡(明日香村大字雷)
・八王子さん、大柳神社とも呼ばれる。『三代実録』貞観元(859)年の条に、
大和国従五位下 気吹雷神、従五位下 響雷神、並びに官社に列す」と記す。
※鉄斎筆『公私事歴録』に
「大和高市郡雷村 方今廃社 社地壱坪を存す、気吹雷響雷吉野大国栖御魂神社二座、右再建を欲し明治12年8月、金弐拾五円を社寺掛ヘ廻し、其の区長ヘ照合、村方まで差出し建築の挙を謀る、区長諾す」とあり、その欄外に「延喜式内大社、当時其の社蹟芝生を聊か存す、廃社年月未詳」と朱書されている。
<平斎注>※「金25円を社寺掛に廻しその区長へ照合」などの部分が具体的にどういうことを行なったのか分かりにくい上に、鉄斎先生の折角の寄付金がどのように生かされたのかが明瞭でないのは誠に遺憾である。

※上記の要旨は、「飛鳥神奈備考」保田與重郎(『明日香村史 上巻』1974年発行)
および「富岡鉄斎「公私事歴録」」小高根太郎(『美術研究』第65号)に拠った。
『公私事歴録』の引用については、適宜句読点を付し、送り仮名は片カナを平かなに改めた。