纏向遺跡は崇神天皇の宮跡か
[歴史]纏向遺跡は崇神天皇の宮跡か
<田中卓説による謎解き>(京都産大 所功ところいさお教授)
↑毎日新聞 2009(平成21年)12月31日の記事
友人の青井建之氏から2010年3月に頂いた纏向遺跡に関する新聞各紙の記事(2009.3.21〜同年12.31)の中の一枚。
2009.05.29 「箸塚古墳240〜260年築造」「卑弥呼死亡時期と一致」
放射性炭素年代測定
2009.11.11 「卑弥呼時代 最大の建物群」
邪馬台国中枢か 西の3棟と一直線配置
※この2009.11.11には、各紙競って大々的に報道している。
写真の毎日新聞の記事は、その年の大晦日に別個に掲載された「田中―所功」説である。
足立倫行『倭人伝、古事記の正体』「Ⅱ 古事記を歩く」(朝日新書・2012年刊)によると、
(桜井市立「纏向学研究センター」寺沢薫所長と橋本輝彦調査研究係長に会った。橋本さんには)「纏向遺跡の辻地区で発掘された大型建物群が、崇神、垂仁、景行など実在したと言われる初期の天皇たちの宮殿である可能性について、尋ねてみた。
「崇神は4世紀前半に歿したとみなされていますが、田中卓たかし説のように3世紀半ばとすれば、そのような可能性も浮上するかもしれませんね」 と 橋本さんは答えた。
「纏向遺跡で発掘された方位の揃った大型建物跡は、おそらく崇神天皇の「師木の水垣の宮」・・・。
「いや、それはどうですかね。私は田中説にも、あるいは”アレは卑弥呼の宮殿”という説にも、両方に懐疑的です。・・・・・」橋本さんは沈着な視線で見詰め返した。
足立倫行氏は1948年生れのノンフィクション作家で、『血脈の日本古代史』(ベスト新書・2015年刊)なども書いている。けれんではなく、まじめな本だと思う。