枚方の神武天皇聖蹟碑

[神仏]枚方神武天皇聖蹟
 北河内郡枚方町宮山
 「枚方町の聖蹟伝説地は、京阪電鉄西口停留所のすぐ南方宮山の頂上にある。ここもまたご上陸地だとのいひ伝へにふさはしく、殆ど崖といってもいゝほど切り立ってゐる小山の先端にあって、眼下に枚方の町が甍を並べてゐる。
 その向ふには淀の流れが銀色にうねり、晴れた日には遠く大阪城さへ望めるといふ景勝の地を占めてゐる。
 同所に『神武帝御東征記念碑』と謹記した地上九尺五寸、六寸角の木が建てられてゐるが、それは明治四十三年京阪電鉄の開通とともに当時の三松枚方町長らが建立したものである。」
     『朝日新聞記事集成 第九集』(枚方市・1982)のうち
      「神武天皇と大阪(5) 昭和一四・一二・一六」より転載

 宮山に鎮座した式内・意賀美神社は1909(明治四十二)年、万年寺山の須賀神社を合祀すると同時に同神社の境内に移転した。宮山の旧地はその後市に売却され、昭和7年、上水道の「低区配水池」が設置され今日に至っているらしい。『神武帝御東征記念碑』は木製のため、恐らく腐朽してしまったのであろう。石碑でなかったことが惜しまれる。

意賀美神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E8%B3%80%E7%BE%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82)

【追記】
 今から半世紀前、「河内郷土研究会」という会があった。会長:河澄正直、顧問に 瀧川政次郎・今井啓一田中卓・中村直勝・宮本又次・川勝政太郎・西宮一民という錚々たる大先生が名を連ね、執筆陣には牧村史陽氏の名も見られる。
▼当時のガリ版刷りの会報の一紙面
(「河内郷土研究會々報 №10」昭和三十四年五月刊)