仁丹町名表示板

[猪飼野]仁丹町名表示板

 当店の壁に掲示している「生野区 猪飼野中二丁目」の<仁丹広告>町名表示板は、以前近所の不用な方から譲り受けたものである。それがいつのことだったのか不明だが、早いもので、当店に掲示してから少なくとも3年以上経過していることが今回はっきりした。
 それは、下記ブログ・投稿サイト(山本龍造:大阪アホげな小発見。「仁丹の町名看板 in 大阪市内」)
http://osaka.way-nifty.com/blog/2009/05/in-4eee.html
の文面によってである。


 <2010年5月2日(日)、連休の初日、一年掛りで探していた念願の猪飼野看板探し当てました。
 古い地図を買って猪飼野中2丁目をくまなく探しどこにもない。あきらめてタバコ屋で、もしかして知っているかも知れないと看板の写真を見せたところ、「これ弟の家や」と聞いた時には我が耳を疑いました。
 猪飼野中2丁目にないはずで、弟さんは古いものが好きで自分の家のおもてに掲げたんだそうです。
 人騒がせな看板!!でも見つけてルンルンな連休初日でした。

 追伸 今市も探しているんですが、なかなか見つからずです。
                   (投稿: ゆりかもめ)>

 上記文中の”たばこ屋”の主人は小生の兄で、2010年5月時点ではまだ元気にしていたが、その4ヵ月後に急病で入院し、翌年6月28日に亡くなった。

 上記ブログのことを知ったのは、この投稿文を書いた”ゆりかもめ”さんらと、今日、店の前でばったり顔を合わせたからである。
 同氏は京都仁丹樂会のメンバーで、もう一人のお仲間を案内して「猪飼野中二丁目」の仁丹町名表示板の写真を撮るために、わざわざ京都から3年ぶりに当店を再訪した、とのことであった。
 3年前に来られたということはこちら側は全く知らなかった。この町名表示板の存在をどのようにしてキャッチされたのか?をお尋ねして、はじめてその経緯を知った次第である。

 なお、彼がその町名を手掛かりに探し回って場所が分からなかったのも無理はない。当店所在地の旧町名は「猪飼野中」ではなく「猪飼野東」だからである。
 こういうものは本来、位置を変えるべきものではないが、元の位置は余りにも奥まっている上に、表示板の上に半分被さるように板が打ち付けてあったので、これを見つけるのは近所に住む私位しかできなかっただろう。
 表通りに面した当店に付け替えたからこそ、”大阪アホげな小発見”の主人公がグーグルのストリートビューで発見してくれた、というわけである。



 今年のお盆は亡き兄の三回忌だった。京都仁丹樂会の方々に会えたのも、兄の引き合わせだったに違いない。
 というのは、この仁丹町名板は、実は昨日まで生野区創設70周年記念展示(主催:生野区まち案内人の会(いくナビ))として生野区民センターに展示中だったのを、思うところがあって、今日この町名板だけを持ち帰って店の壁面に再掲示したのである。彼らが撮影にきたのはその一時間後位だった。話を聞いて、余りのタイミングの良さに私もびっくりしたが、彼らもその幸運に大変喜んでくれた。(明日この続きを書く)