甲奴郡甲奴町小童の資料

[小童村]甲奴郡甲奴町小童(ひち)の資料

今回、甲奴町観光協会の近藤昭夫氏から頂戴した資料の内訳(1〜5、およびA〜D)とその概要をメモしておく。
1.『須佐神社御由緒』
2.『続・続々ふるさとこぼれ話・文化財調査報告』
  (甲奴町教育委員会・甲奴町文化財保護委員会)
・小童の地名について
須佐神社の扁額・棟札調査(須佐神社関係・春日井八幡神社関係)
須佐神社の歌碑(東久世通禧・高原美忠)
3.『広島県文化百選(風物編)』(92)須佐神社絵馬
4.『闡明備後祇園略誌(抄)』(1989・平成元年、高杉和雄著)
5.『げいびグラフ』第118号(平成23年10月10日発行)
「ふるさとの道 小童祇園水取水の道―古式ゆかしい神事を再現―」(三次市甲奴町)
【A】広島県神社誌(抄)』甲奴郡甲奴町小童の神社は、
1.菅原 神社―甲奴郡甲奴町小童宮の前77、氏子4戸(小童高山)
  (須佐神社の境外末社、高山の氏神
2.山王 神社―甲奴郡甲奴町小童山王458、氏子12戸(小童広石)
3.須佐 神社―甲奴郡甲奴町小童1072、氏子231戸
  (武塔神社境内に御旅所がある)
4.武塔 神社―甲奴郡甲奴町小童1124、氏子35戸(宮部上・中・下組)
5.金刀比羅宮甲奴郡甲奴町小童字兜山1438 (麓・峠・市場39戸の氏神
6.大山祇神社甲奴郡甲奴町小童塔の宮2076-2(麓・峠・市場39戸の氏神
7. 八幡 神社―甲奴郡甲奴町小童4198(平斎注、<通称>春日井八幡神社
以下欠。
【B】 『小童村誌(抄)』 (甲奴町郷土誌小童地区編)2002・平成14年
      編集発行:小童村誌編纂委員会(甲奴町教育委員会内)

(イ)2-1-2 須佐神社武塔神社の創建
(ロ)2-1-3 小童保の成立
(ハ)2-3-3 祇園牛頭天王社から須佐神社
       (神仏分離社格の制定・神社の合祀)
(ニ)5-1  神社
(1.須佐神社 2.武塔神社 3.春日井八幡神社 
8.塩貝八王子社(注、ここでは4番目だが【A】から通すと8。以下欠))
(ホ)*-*-2 町有重要文化財 (須佐神社縁起 一巻)

【C】(社)世羅郡教育会 世羅郡誌?1927(抄)』
※廣定村小童の神社で【A】【B】以外のものは(番号は通しで仮に付す)、
9.恵美須神社―廣定村市場にあり

【D】 『国郡志御用下しらべ書出帳』世羅郡小童村、文政三辰・1820年
「社 八社」とあり、A〜C(但し、すべて抄本である)に合致しない神社は、
10. 行 藤 天神・・・・・村抱・・・・・社人幣取 陸奥
11. 慶正寺 明現・・・・・村抱・・・・・社人幣取 陸奥
それ以外にも、
一、宮辺 大荒神・・・壱社村抱・・・・・社人幣取 陸奥
一、村内荒神 五拾弐社 谷々之抱  但祭日無御座、祭礼等も仕不申候

[平斎注]よそ者なので分かり難いが、これらで見ると小童村にはざっと10社位の神社があるらしく、
谷々の荒神祠に至っては合併したりまた復活したりで、現在の実数の把握は不可能な様子である。
『小童村誌』P177「神社の合祀」によれば、

 ”神社の合祀は、村社を一村に一社、無格社を村に数社の方針で進められ、多くの小祠が主として同じ村の産土神に合祀された。(中略)ところが小童の場合、各谷々には荒神社等の小祠が数多く残されている。しかし、その荒神社も、峠(たお)集落のように一社に合祀された集落もあれば、塩貝集落のように、合祀されずにそのまま残されている集落もある。
 このような状況から察するに、合祀は進められたが、何らかの要因で部分的合祀となったのではないかと考えられる。(文責 福原 勲)”

と記されている。
 一方、素戔嗚尊奉祀神社の調査』 (高原美忠編、昭和52年)によって備後国甲奴郡ならびに同国世羅郡における素戔嗚尊奉祀神社を一覧してみると、甲奴郡=311社、世羅郡=36社となっており、甲奴郡素戔嗚尊奉祀神社数は他の郡の水準からはるかに抜きん出て全国一位であるが、その問題はさておき、社名で見るとほとんどすべてが「須佐神社」となっており、「荒神社」という名の神社は唯の一社も見当たらない。

 これは『神社明細帳』によって一つ一つ突き合わせてみないと、「須佐神社荒神社」に該当するものが何社になるのか全く見当がつかない状況である。

【追記】唯の一社も―というのは実は正確ではない。「十里棠」という社名が一つあった。これは「十里堂荒神」を指しており、この社は現在、三次市上下町上下309・八幡神社(亀山八幡)の境内社として存続している。そしてこの社を含めて、他の神社の境内社となっているものが28社、独立神社が14社で、計42社がリストアップできる神社、その他は調査資料上例え「須佐神社」と記されていようとも通称は”荒神さん”と呼ばれている小祠ということになろう。